「いま言えたじゃない」
 「え? そうですか?」
 「うん、言えてた。もう一度言ってみて」

 彼女は大きく息を吸い込んで、恐る恐る言った。

 「くたさい」

 また言えなかった。私と彼女は、顔を見合わせて笑った。

「ミシミシ」と「パカヤロ」

 一方で、中国人の話す濁音のない日本語については、嫌な気持ちとともに記憶している言葉もある。それは、「パカヤロ」。馬鹿野郎のことで、中国人がこれを言うときは必ずといっていいほど「ミシミシ」とセットで口にした。「ミシミシ」は「飯メシ」のこと。仕事から遅く家に帰ってきて「飯」「風呂」「寝る」しか言わないのが日本の男だとよく言われたものだが、これに日中戦争当時、馬鹿野郎と怒鳴り散らしていた日本兵のイメージが相まって、中国のテレビドラマや映画に登場する日本の男は「飯メシ」「馬鹿野郎」を連呼する人間として描かれた。さらに、日本兵に扮するのが日本語のできない中国人の俳優だったこともあり、「飯メシ」は「ミシミシ」、「馬鹿野郎」は「パカヤロ」と濁音のない音で中国中に広まった。

 1980年代から90年代半ばごろまでにかけて、学校で、友人の実家で、町中で、旅の列車の中でと、中国のどこであっても、こちらが日本人だと分かった中国人から、「ミシミシ」「パカヤロ」と本当によく言われたものだ。中国人からこれを言われると私は毎回、怒り、というような激しい感情までは起こらなかったが、なんとも嫌な気分にはなった。

「故意かどうか」が問題ではない

 この2つの言葉を私に投げかけた人たちの中には、日本人を揶揄する気持ちで言った人が多かったように思う。ただ、日本人を含む外国人と接触する機会がまだ多くなかった当時の中国で、知り合った日本人に、知っている日本語を披露したいという単純な気持ちもあって、「ミシミシ」「パカヤロ」と口にした人も、半数ぐらいはいたように思う。なぜって、彼らのほとんどが満面の笑みでその言葉を口にしていたから。

 その2つを言われた私は、時にその相手に向かって、「確かにそれは日本語ですね。でも、中国の人たちからそういう風に言われると、日本人としてあまり嬉しくないんです。だから、もし今後、別の日本人に会う機会があっても、言わないでほしいんです」と伝えたりした。すると中には、「『パカヤロ』は相手を罵る言葉だけど、『ミシミシ』は『食事をする』の意味でしょ? さっき私は『ミシミシ』とあなたに言ったけど、馬鹿にする気持ちはなかったですよ?」とさらに笑みを残しつつ聞き返してくる人もいた。「あなたにその意図がなくてもやっぱり、嬉しくないんです」と答えると、まだ完全には腑に落ちていないような顔をしつつも、そこで初めて本格的に笑顔を引っ込め、「あ、そうなんだ。まあ、そういうこともあるよね。うんうん」という感じで納得してくれるということもあった。

 一方で、中国には日本や日本人に対するあからさまな蔑称、差別語もある。「小日本」(シャオリーベン)、「日本鬼子」(リーベンクイツ)という言葉だ。前者は「ちっぽけな日本、取るに足らない日本人」というような意味、後者は先の戦争時に定着したのだろう。ネットにはこの2つの言葉がいまでも溢れかえっているし、中国人同士の会話からこの言葉が聞こえてきたこともある。読んだり、間接的に耳にするだけも、決して愉快ではない。