北京の国防省前で10月11日、1000人を超す元軍人によるデモがあったようだ。12日朝現在、中国メディアでこれを伝えているところはないようだが、「日本経済新聞」(12日付)によると、退役後の待遇に対する不満を訴えているらしい。習近平国家主席は昨秋、兵力の30万人削減を打ち出したが、その改革に軍の内部で不満が高まっているという観測もあって、それがデモの背景になっているとの見方もあるようだ。
今回、元軍人らが集まった国防省は北京の目抜き通りである長安街に面している。習近平氏が兵力削減を打ち出したのは昨年9月の軍事パレードで、これをニュースで観た読者も多いと思うが、天安門の前で閲兵する習氏の前を陸海空軍の兵士や兵器が行進したあの広くて長い通りが長安街である。1989年の天安門事件につながる一連の民主化運動では、100万人と言われる学生らのデモがこの長安街を埋め尽くした。当時、中国に留学していた私はこの年の4月末、この100万人デモを現地で目の当たりにしたのだが、先頭も最後尾も遥かに霞んで見えなかったのを覚えているし、あれほどたくさんの人間をいちどきに見たのもあの日が最初で最後である。
群衆の持つ脅威を身をもって感じた中国当局は、天安門事件を機に、大勢の人が集まれる場所をつぶし始めた。北京の天安門広場のように中国の都市には町の中心部に集会ができるだだっ広い広場を持つところが多かったのだが、事件後、植え込みを造るなどして面積や空間を減らし、人がむやみに集まれないようにしたのだ。
群衆の正体はSNH48のファンだった
このような経緯を体感していることもあるのだろうが、私はその後中国の街角で、少しでも大勢の人が集まっているのに出くわすと、あれ、デモかなと、胸がどきついてしまうという癖のようなものがついてしまった。
つい先週、上海の虹口というエリアに散歩に出かけたときもそうだった。3年ぶりぐらいに通ったある道が再開発ですっかり様変わりし、あったはずの土地勘が役に立たなくなったことにうろたえながら歩きつつある角を曲がると、天安門の民主化運動に参加していた学生らと同じ年ごろと思しき男の子や女の子が大勢集まっているのにぶつかった。すわ何事、と身構えたのも一瞬のこと、日本なら撮り鉄が持つような長尺の望遠レンズを付けた一眼レフを首からぶら下げた子が目立つことに気付き、彼らの「正体」と自分がいまどこにいるのかが分かった。AKB48の姉妹グループ、SNH48の専用劇場でメンバーを出待ちするファンの子たちだった。
「星夢劇院」と名付けられたこのSNH48専用劇場は元々、租界時代の1932年にやはり劇場として建てられたもの。設計は、重厚な石造りの洋館が建ち並ぶ町並みが上海の代名詞にもなっているバンド(外灘)で大北電報公司ビル(元バンコク銀行)などを手がけたアトキンソン&ダラス設計事務所である。虹口区のホームページによると、1949年の新中国建国後も何度か改名しながら劇場として使われてきたが、老朽化で使われなくなっていたのをリノベーションし、2013年、SNH48専用劇場として再オープンした。
このSNH48専用劇場の近辺には租界時代の建築がいくつか残されており、リノベーションしたこれらの建築を柱にした再開発が進んでいる。その中には、古い工場や倉庫に少し手を入れて細かく間仕切りしてペンキを塗りたくり、「創意産業園」「革新中心」、すなわち「クリエイティブパーク」「イノベーションセンター」などの看板を付けて貸し出すという、中国でこの10年ぐらい流行りの安易でありがちなものもある。しかし、歴史的遺産を残して有効活用するのが素晴らしいことであるのは間違いない。ただそれでも、「おいおい、再利用すれば何でもいいってわけじゃないぜ」と、首をかしげたくなるようなものもある。
首をかしげたくなるリノベーション
牛の食肉処理場を再利用した施設。かつて牛が引かれたスロープで自撮りする若い女性も
例えば、SNH48専用劇場の近くにある「1933老場坊」という建物がそうだ。ここは、共同租界の行政機関だった工部局が出資して1933年に建てた建築を、リノベーションして2007年、主にアートスペースとして再利用し始めたのだが、80数年前の竣工当時の名前はというと「上海工部局宰牲場」。つまり、牛の食肉処理場として建てられたのである。その後も食肉加工や製薬の工場として2002年まで使われていた。
虹口区のホームページが「建築美学と工業デザインを見事に融合した設計」と称賛するように、建物自体は個性的で見事な建築だ。ただ、中に入ると、数多の牛が食肉処理されるために引かれていったのであろうスロープが当時のまま残され通路として「有効活用」されているなど、あまりいい気分のものではない。鳥インフルエンザやSARSなど、動物由来のウィルスによる感染症が多くなっている昨今、上海の中心部の1つにそのまま動物を扱う施設を残すのも難しいのは分かる。しかし、アートスペースとして使い、おしゃれなアートエリアとして一般開放する発想に私はなじめず、足が遠のいていた。
食肉処理場で結婚式という発想の源泉
かつて牛の食肉処理場だったこの建物で結婚式を挙げる人もいる。正面玄関に停車する新郎新婦を載せるリムジンと記念撮影に収まる人たちがひっきりなしにやって来た
ただそれでも、食肉処理場だったという歴史や、そこに関わった人や動物たちの情念のようなものを受け止めた上で、アーティストやクリエイターたちが「創意」や「革新」を発揮して素晴らしい作品を創り出すということもあるのだろうとは思った。ところが先週、SNH48専用劇場に偶然行き当たったことでこの旧食肉処理場が近いことを思い出し立ち寄ってみて、「このこだわりのなさには、やはりついていけない」と唸らされた。
3~4年ぶりに訪れたこの旧食肉処理場ではこの日、結婚式が執り行われていた。このビルが経営する貸しスペースがウェディングプランを用意しているようなのである。新郎新婦を送迎するため正面玄関に停まっていたクラシカルなリムジンの前には、旧食肉処理場と、結婚の飾り付けをしたこのクルマをバックに記念撮影する人たちがひっきりなしにやって来る。
この貸しスペースは広さが1000平米で、最大500人まで収容できるとのこと。この広い空間がかつて、まさに牛たちを集める部屋だったのか、それとも作業する人間が事務所等として使っていたのかは知らない。いずれにせよ、「食肉処理場だった建物に広いスペースがある。じゃあ結婚式にも使えるな」としてお金を出し商売に結びつけたのだろうこの思考には、躊躇やこだわりというものが認められない。
そしてこのこだわりのなさは、中国人の仕事観を如実に示すものでもある。
仕事に対するこだわりと躊躇のなさ
生きていく上での糧となるお金を稼ぐことを目的に仕事をするというのは日本人も中国人も同じだ。しかし日本人は、お金を稼ぐ過程、つまり仕事の内容にこだわる気質がある。先の例を引くなら、「儲かるからと言って、食肉処理場だったところで結婚式のビジネスをするなんて」と内容にこだわり躊躇するのが日本人だ。これに対して中国人は、お金を稼ぐという最終的な目的さえ達成できるならば、手段や過程にはこだわらないところが間違いなく強い。日本人が「この道一筋」や「トップが現場に立って」というようなことに仕事の価値を見いだしたり大切に思ったりし、自分自身が動かないと仕事をした気にならないようなところがあるのに比べ、中国人は、お金を得るという目的が達成できるのであれば、自分が手を動かさずとも他人にやらせても構わないし、それだって自分が仕事をしたことだととらえる。日本人の言う仕事は「労働」に近く、中国人の言う仕事は「投資」や「投機」に近いとも言えるのかもしれない。
エンジェル投資家の段階で終わるビジネス
30年来の付き合いになる中国人の友人がいる。彼は10年前、脱サラして上海で起業した。以来、彼とは2~3年に1度のペースで会うのだが、会う度に仕事が変わっている。そして、仕事は違うのだが、言うことは毎回同じだ。「前の仕事? あれはもう時代遅れだ。今はね……」とひとしきり新しい事業の内容について熱弁した上で、「立ち上げから助走段階のシリーズAラウンド、シリーズBラウンドの出資の段階はもう終わってね、いまはエンジェル投資家に出てきてもらうステージに上がるところなんだ」。そして、開発したばかりだというスマートフォンのアプリなどを見せてくれる。
彼はいつもその時手がけている新しい事業を、「これは画期的で革新的なことなんですよ」といって説明してくれる。しかし残念ながら、私には彼のどの事業も、どこが画期的で、革新的なのかが分かったことがないし、成功しそうにもまるで思えない。思えないどころか、目新しいことがまるでないのにも関わらず革新的だ、画期的だと力説されるとかえって不安が増す。
一方で、私は自分に事業やお金儲けのセンスがゼロだということについては自覚しているので、私が理解できないだけなのかな、と毎回あやふやな気分で彼のオフィスを後にする。ただ、彼のビジネスがどれも実を結ばず途中で終わってしまっているという結果を見る限り、どれも成功しそうにないなという私の見立ては、それほど見当違いでもないのだろう。そして恐らく、彼のビジネスに投資してみようという感覚を持ち合わせている日本人はいないのではないかと思う。
お金が集まる不思議
ただ、彼の起業遍歴を見て、気付いたこともある。彼のビジネスはどれも成功には至っていないものの、シリーズAラウンド、シリーズBラウンドまでは毎回、中国人の個人投資家からお金が集まっている、という点だ。事実、彼は上海都心部にある「創業パーク」に大きなオフィスを借り、いつ会っても10人を超すスタッフを抱えている。お金持ちにも見えない半面、ある程度の資金がなければ維持できない陣容で、投資家からの出資が実際にあることを裏付ける。どのビジネスも次のステージに進むためのエンジェル投資家を見つけることができず、自力でそこから事業を軌道に乗せることもできずに終わってしまうのだが、その前の段階までお金を出す中国人の投資家が少なからずいるということには、毎回驚かされる。
先日中国で、交通渋滞の解消につながる大発明だともてはやされた道路2車線をまたぐ巨大バスが、実は詐欺だったというニュースがあった。乗客が一度に300人運べる他、バスの底が巨大な空洞になっているのでクルマ2台が併走できるため、PM2.5など深刻な大気汚染の元凶の1つになっている交通渋滞の緩和に絶大な効果が期待できると売り込み、実際に試作品まで造って出資を募っていた。ところが実際は実用化の見込みがほとんどない詐欺で、実際に少なくない高齢者から資金をだまし取っており、経営者夫婦は逃亡したなどと報じられ、大騒ぎになった。先に紹介した友人のビジネスと違ってこちらは詐欺だから同列には論じられないが、試作品まで造ったところで、エンジェル投資家を見つける前に詐欺が発覚してしまった、というところである。
試作品のお披露目の様子を写真で見た。バスの下をクルマが通行している様はまるでマンガのようで思わず笑ってしまったが、同時に、こんなマンガみたいなことに投資した人が少なからずいたというのを聞いて、仕事に過程を求めない中国人の投資家、投機家としての気質がうずいたのであろうとも思ったのである。
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