愛国論の発端は、既にポケモンGOが配信された欧米や日本に留学や仕事で居る中国人たちが、「あれ、中国に居る人たちは、まだポケモンGOができない? 早く飛行機に乗ってやりに来ればいいのに」と揶揄したことに、中国国内の一部の人たちが反発したことにある。この「飛行機に乗る」というのは2つの意味があり、1つは文字通り、飛行機に乗って別の場所に行くこと。もう1つは中国のゲーム用語で、中国で禁じられているゲームに手を加えプレイできるようにすることを指すのだそうだ。つまり「できないできないと騒いでないで、ゲームを改造するなり外国に行ってやるなりすればいいのに。あ、でも、中国に残っている人たちは、お金も環境も整わないからゲームを改造するのが関の山で、外国になんか行けないでしょうけどね」とバカにする意味が込められているのだという。

 南シナ海問題に沈黙していた人たちは、この「飛行機論争」も取り合わずに沈黙した。いずれ自分たちも、外に出て行くかもしれないからである。一方で、南シナ海問題の司法判断に激怒した人たちは、ポケモンGOの飛行機論争に敏感に反応、怒り狂い、愛国と日米製品の排斥を叫んだのだ。

 注意したいのは、南シナ海の問題で、国と違う意見を持っているだろうと思われる人々は、その意見をSNSで決して発表はせず、おしなべて「沈黙」しているということである。「国の言ってることは、ちょっと違うよなあ」とは思っていても、発言しても個人の得には何一つならない。であれば、黙っていて、条件が調い次第、外に出ていけばいいだけのことだという思いが彼らにはある。

国内向け要素が濃厚な国の発言

 もちろん、国もそうした背景は十二分に分かっている。体制を維持するためには、「国を出て行く・出ていく可能性の高い人たち」よりも、「国に残る・あるいは残らざるを得ない人たち」に向けたメッセージを発する必要がある。中国が国として表に出す態度や意見は、こうした国内の事情を考慮し、必要以上に強硬に見せかけているという側面が大きい。

 一方で、国に残らざるを得ない人たちが、愛国、強硬、日米に反発で凝り固まっているのかと言えば、そこも疑わしい部分はある。ポケモンGOの愛国論争、飛行機論争を見ると、国を出て行く派に対する妬みや、自分の将来に対する不安や焦りなどの感情を、愛国や排斥という姿を借りてぶちまけているだけだという人も、相当数いるだろう、というのが、彼らと接してみての私の実感だ。

 中国については、強気の姿勢や発言を全面的に真に受けず、少し引いて考えてみることが肝要。南シナ海問題とポケモンGOの登場を機に、改めてそんなことを考えた。