後日、乗り合わせたタクシーの運転手と、一連の違法建築取り壊しの話になった。すると上海人の彼は、「違法建築が理由だって本気で信じてるのか。おめでたいな。あれはな、違法建築を使って安い飲食店を経営している地方の農村から来た農民工を上海から追い出すのが目的なんだよ」と言う。それを聞いた私は、そこで商売をしていた農民工からいきなり生きていく糧を奪って、上海当局はいったい、彼らに明日からどう生きていけと思っているのかなと返した。すると上海人の運転手は気色ばんで、「そんなことオレたちの知ったことじゃない。上海は人が溢れてるんだよ。農民工を養う余裕はもうないんだ。とっとと故郷に帰ればいいんだ」と言った。

 ただ、相手が上海人なら上海から追い出すわけにもいかない。そこで、ゆで卵販売という違法行為を理由に新聞スタンドを辞めさせ、衰退する紙の新聞雑誌と入れ替わるように中国で爆発的に流行りだしマネーも集まる自転車シェアリングで需要の増えた駐輪場の管理人に最低賃金で仕事に就かせる。こうして、これまでなら地方からの出稼ぎ農民工に担わせたであろう低賃金の仕事は上海人の下層の人々に就かせ、あぶれた農民工は違法を理由に追い出す。違法ゆで卵から、こうした構図が見えてくる。

あっという間に壊されたB級グルメのレストラン街
あっという間に壊されたB級グルメのレストラン街

「自分の意思」というささやかな抵抗

 結局、新聞スタンドの彼は、閉鎖と補償金は受け入れたが、斡旋された駐輪場の仕事は断った。3つ年上の妻が今年5月から年金が支給されるので、蓄えを切り崩せば2人ならかつかつ食べていけるというのもあった。ただ、最後の仕事ぐらいは、国に指図されずに自分の意思で決めたいと思ったのだという。

 文化大革命(1966-76年)のまっただ中に学齢期を過ごし満足な教育を受けられなかった新聞スタンドの彼は、19歳で初めて就職し3年働いた国有の家具工場、その後6年働いた国有のミシン工場、10年務めた国有の腕時計工場、そして政府の失業対策で生まれた新聞スタンドと、最後はすべてが国によるリストラで職を追われた。すべてが国の都合であり、個人の都合は一顧だにされなかった。新聞スタンドの仕事を奪われたとき、この仕事に愛着とやりがいを感じていたことに初めて気付いた。駐輪場の仕事だって、いざやれば立派にやり遂げる自信はある。でも、仕事には何の落ち度もないのに、また国の都合で辞めさせられるかもしれない。それはもうまっぴらだと思った。だからせめてもの抵抗として、「次の仕事を紹介してやれば文句はないだろう」というこれまでと同じ当局のやり方に、今回初めて、ほんのわずかだが、抗ってみたのだった。

 「これまでずっと、国の頭数ぐらいにはなれているんだろうと思っていた。でも、定年退職の歳も間近になって、あっさりとこれまでと同じことをされた時、これまでだって、この国はオレのことなんか数の内に入れてなかったんだろうな、と思った」と、新聞スタンドの彼は、真面目な顔で言った。