つながらない電話の理由

 再訪するという約束を果たしたことに安心してしまった私は、その後、その村の子供たちと連絡を取ることが無くなってしまった。いまであればスマホのSNSで連絡を取ることも簡単だが、当時はスマホ登場前夜。連絡を途絶えさせるのはいとも簡単だった。ただ、折に触れて、チュンリーのことは思い出していた。果たして高校には進めたのだろうか、それとも幼い彼が言っていたように、進めなかったのだろうか、と。

 進学していれば大学に在学しているはずの年齢だ。そこで去年、思い立って古いノートを引っ張り出し、住所と名前以外では彼らから唯一教えてもらったチェンシーの父親の携帯電話にショートメッセージを送ってみたが返事が来ない。久しぶりすぎて私の名前など忘れてしまい、訝しんで返事を躊躇しているのだろうかと、今度は電話をかけてみた。すると、「この電話番号は使われておりません」のアナウンス。番号を変えてしまったのだろうか。いずれにせよ、遠隔で連絡を取る道は途絶えてしまった。

 チュンリーのことが気になりながらも少年たちの村に足が向かない大きな要因になっていたのは、バスで丸1日かかるという交通の不便さだった。そこへ去年6月、村の最寄りの町、すなわちチェンシーの父が働きに出ていた町に新幹線の駅ができたことで、上海から1日がかりの移動が半日で済むようになった。

 こうなれば、会いに行くしかない。

 そして去年の10月、私は三度(みたび)、少年たちの村を訪れた。

 記憶を頼りにまず、晩ご飯をごちそうになったチェンシーの実家を訪れたのだが、門は固く閉ざされ、呼びかけても返事がない。そこで隣家に事情を話すと、チェンシーの父の電話がつながらなかった理由を教えてくれた。

 チェンシーの父は、数年前に亡くなっていた。「酒の飲み過ぎだよ」と隣家の老人は言った。チェンシーは安徽省の省都(県庁所在地)合肥にある建築大学に在学中、チェンシーの母は、夫の死後、夫の実家に寄りつかなくなったと教えてくれた。

再会

 気を取り直し、8年前に撮った他の少年たちや保護者たちの写真を見せ家が分かる人はいないかと尋ねた。「よく分からない」を連発していた老人が、笛を吹く少年を指さし、ウチの真裏だよ、と教えてくれた。訪ねたが、門は固く閉ざされ、人の気配もない。30分ほど時間をおいて再訪することを3度繰り返したが、やはり誰もいない。

 町に向かう最終バスの時間が迫っていた。これで少年たちに再会する道は閉ざされてしまった。失望した私は停留所に向かったが、最初に少年たちに出会った大きな岩のあった場所にもう一度だけ行ってみようと、時間を気にしつつ、足早に向かった。

 ところが岩はもう無かった。思い出の場所まで変わってしまった。しかし、これでかえってあきらめがついた。そう思い、私はバス停に向かって歩き出した。すると背後から、「写真の日本人だろ?」と声が聞こえた。中年の男がいた。走ってきたのか、息を弾ませている。8年前、「山田泰司だろ? ボクに付いてきな」と言った、笛の少年、ワンレイの父親だった。家に戻った彼は、隣人から話を聞き、昔訪ねてきて子供たちの写真を撮ったあの日本人に違いないと直感し、ダッシュで追いかけてきてくれたのだという。

笛を吹いていた小学生のワンレイは、笛を学ぶ大学生になっていた

 彼の家に戻って話を聞く。笛の少年、ワンレイは、新疆ウイグル自治区のウルムチ芸術大学で笛を勉強する大学生になっていた。「芸術大学を受験するために必要だからという息子の願いを容れて、1回300元(約4800円)の笛のレッスンに何百回も通わせたよ。私は近年、この村に残ってオート三輪で配送の仕事、妻は上海で家政婦をして、息子のレッスン代を稼いだよ。それでも足りなくて、親戚から4000元(6万4000円)借金したこともある。合格してくれてよかった」と笑って話すワンレイの父。

 彼の父に教えてもらい、ワンレイの携帯にメッセージを送る。折り返し、すぐにワンレイから電話がかかってきた。「山田泰司なの? ウソでしょ?」

 ワンレイが中国で最もポピュラーなSNS「ウェイシン(微信)」で「山田君の友達」という名前を付けてグループチャットを作ってくれ、5人の少年たち全員の消息が分かった。親の商売が順調で5人の中で唯一、この村で両親と共に暮らしていたウーパンは合肥の大学に合格。運転免許を取ったりバスケットに興じたりと大学生活を謳歌している。