それだけに、自分の両親や自分自身と同じ境遇にある人たちを相手に地下室ビジネスをやるのは、ハンションにとって、共食いをするに等しいことだとも言える。その点について、ハンションに葛藤はないのかが気になった。聞けば、800台を収容する「正業」の駐車場の管理の仕事だけで、ハンションは毎月1万5000元(約25万円)前後の収入があるのだという。臨月の妻は産休に入っているが、やはり仕事を持っている。それだけの収入があれば、何も地下室の経営をしなくても、比較的余裕のある暮らしができるはずだ。駐車場経営の実績を評価して、管理会社はハンションに地下室管理を持ちかけたのだろう。ただ、余裕の出た地方出身者が、格差を利用した商売をしていたら、都市の人間と地方出身者、強者と弱者の格差はこの国から未来永劫、なくならないだろう。

個人の利益の最大化

 とは言え、面と向かってハンションにこの気持ちをぶつける勇気は、私にはなかった。そこで、より交流がある兄のジンジンに私の考えを伝えてみた。するとジンジンは、「北京に家のない、地方から裸一貫で出て来た若者が、4000元や5000元(6万8000~8万5000円)の給料から5000元の家賃をどうやったら出せると言うんですか? 安い住宅を提供して、弟は住人たちから感謝されていますよ」と気色ばんだ。

 北京を発つ前、お兄さんは、安いお金で住居を提供してくれているあなたに住民たちは感謝している、と言っていたけど、あなた自身もそう思う? とハンションに聞いた。するとハンションは、「兄貴はそんなこと言ったの?」と苦笑いし、すぐに真顔になって、「感謝なんかされてないよ」とつぶやいた。そして、「地下室アパートの件は、運に恵まれて、それをつかんだ、そういうことなんだ」と言った。

 ジンジンは、国の研究所に付属する大学院の博士課程で大気汚染の改善を研究している。学費は全額免除、かつ研究所の業務を補佐しているということで、月2000元(約3万4000円)程度だが報酬も得ている。卒業後も研究所に残って就職するには海外に3年間留学するのが条件だとのことで、ジンジンも米国に留学する予定だが、「チャンスがあれば、そのまま米国に移住したい」という希望を常に口にする。

地下室で見かけた人影
地下室で見かけた人影
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 それを聞く度に私は、あなたのようなエリートが海外に移住してしまったら、PM2.5に苦しむ中国の問題はだれが解決するの? 国に尽くすのがあなたのような若いエリートの使命ではないのか。ある程度の条件が揃ったり権利が手に入ったりすると、問題を解決しようとしないでひたすら権利を行使する側に回ってしまうのが、中国の最大の問題だと言って説教する。ジンジンは、オジサンの説教を「うーん。それはそうですね」と毎回真面目に聞いてくれるし、理解もしてくれているようだ。

 しかし、ジンジンも、そしてハンションも、実際に取る行動は恐らく、国よりも、格差の是正よりも、個人の権利や利益を最大化するかどうかに基準を置いて判断するのだろうと、彼らの話を聞いて思う。そしてそれが、中国のリアルに基づいた彼らにとっての最適解なのだろうな、とも。

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