「殺馬特」の仲間と共に

「脳残」「無文化」「悪趣味」とこき下ろされる

 とはいえ、殺馬特が流行りだし全盛を迎えたという2008~13年当時、上海に暮らしていた私は、殺馬特の存在に全く気付かなかった。鉄道やバスのターミナル駅や、上海でも郊外の工場地帯などに行くとX JAPANのような出で立ちをしたどうやら地方出身らしき若者がチラホラいるなと認識はしていたものの、それが、一大潮流と言えるほどのボリュームになっていることには気付かなかった。

 もっとも、羅氏自身が中国メディアに対し「殺馬特は最も多かった時期で1万人程度」と話している。2017年末時点で13億9008万人の人口を抱える中国では決して高い比率だとは言えない。さらに、後述するが、殺馬特の全盛時に私が生活していた上海は、殺馬特のような、異端の人びとやファッション、文化が育ちにくい土地柄であることも、殺馬特をあまり見かけなかった理由かもしれない。羅氏の故郷がある広東省など華南地方において、盛んだったのだろう。

 21世紀の中国に登場したビジュアル系の若者たち「殺馬特」に対する中国社会の反応は強烈だったようだ。ようだ、というのは、先に触れたように、それらの言論は、羅氏が殺馬特を卒業したという記事が出た今年になって、過去の記事にまで遡って読んでみて初めて知ったからである。

 さて、中国社会の反応はどのように強烈だったのか。まず、社会は彼らを、自分たち「主流」に対して「非主流」と位置付けた。「非主流」を「サブカルチャー」と訳す向きもあるが、中国における殺馬特の場合は「外れもの」とする方がしっくりくる。

 そして、彼らの出で立ちや存在を「脳残」(精神病患者)「無文化」「悪趣味」と散々にこき下ろした。

 ちなみにこの「脳残」という言葉、任天堂DSのソフトとしてヒットした「脳を鍛える大人のDSトレーニング」の中国版「脳鍛錬」が2006年に中国でも流行り、そこから派生してできた新語だと言われている。

 殺馬特は、社会から弾き出されて居場所をなくして荒れる若者が1970~80年代の欧米を席巻した西欧のパンクやメタル、スキナーズ、日本の竹の子族や暴走族につながる系列であることは確かであり、自分たちを見下す社会への反抗と、存在証明が源になっているのもまた間違いのないことだ。

 もっとも、社会に対する反抗は、共産党体制下の中国において、欧米のような暴力性を伴うものにはならなかった。また、殺馬特の彼ら自身がどこまで、このようなことを意識していたかと言えば、むしろ自覚的でなかった人が多数を占めたのではないかとも思う。ただ、創始者の羅氏が自ら語るように、存在感が希薄だと小学生時代に既に認識し、存在証明を求める中で殺馬特は誕生した。

 ところが、中国の殺馬特に対するメディアの論評やネットに上がる世間の評価を見ると、都会に生きる地方の農村出身者の存在証明だということを肯定的に捉えるものが皆無に等しいことに気付く。