自分たちで明確に意識はしていないが、恐らくこれが、クルマを渇望する最大の理由なのだろう。当然のことだが、彼らとて、便器むき出しの家が快適だとは思っていないのだ。

 シュー、ウェイ、シュンの3人のうち、便器むき出しの家に住んでいるのはシューのみだ。ただ、彼らの家におじゃました際、共通して毎回感じるものがある。それは、部屋に漂う投げやりで、殺伐とした、よどんだ空気。さらに踏み込んで言えば、敗残感である。

 上海では今年に入って郊外の家賃が高騰、シューとウェイも今年の春節を機に家賃が倍の1000元(約1万7000円)になった。不景気で、シュンのように突然失業するケースも増加。生活のプレッシャーは確実に増している。

 シューは「上海でマイホームを買うなんて100%無理」と断言する。真面目に働いてもトイレすらまともにない家にしか住めない。せめてもの贅沢でクルマを買って、週末ぐらいは家族で日常を忘れたい――こんな思いが彼らをクルマの購入に走らせている。

近くて、とてつもなく遠い上海ディズニーランド

 親友であり、職種、家庭環境、資産状況も似たり寄ったりのシュンが、リストラでクルマの購入を諦めたのを目の当たりにしたシューとウェイは、一括で買ったとはいえ、さすがに少し怖くなっているようだ。「でもほら、失業しても、クルマがあれば、ウーバー(Uber)や滴滴(Didi)みたいな配車サービスで稼げるじゃないか。シュンも無理してでもやっぱりクルマを買った方がいいよ」とシュー。ウェイも、「そうそう、6月にはディズニーランドも出来るしさ。この辺は交通がとにかく不便だから、ディズニーランドや空港に行く人を乗せる需要はこれからもっと増えるよ」と続ける。これを聞いたシュンは、「そうだね」と少し明るい顔になった。

 彼らの住む辺りは浦東空港まで直線距離で2キロ足らずの所にある。さらに6月に開園する上海ディズニーランドへも直線距離なら10キロ程度だ。一方で、都心部からはというと、例えば日本人の居住者も多い婁山関路というエリアからの直線距離は、浦東空港が50キロ、上海ディズニーランドは37キロあまりだが、浦東空港へは地下鉄が直結しているほか、リニアモーターカーや空港リムジンバスもあるので、1時間半あまりで着く。一方で上海ディズニーランドも開園に合わせてオープンする地下鉄を利用すれば1時間程度と、公共交通機関を使ったアクセスは便利だ。

 ところが、直線距離では断然近いシューたちの住む辺りは、公共交通機関の整備とは無縁の陸の孤島だ。地下鉄を使って浦東空港やディズニーランドに行くため最寄りの地下鉄駅まで出る路線バスはあるものの、本数は1時間に1本。自宅を出て最寄りの地下鉄駅に着くまでに既に2時間近くかかってしまう。さらに認可されたタクシーもこの辺りには乗り入れない。仕方なく彼らは、地下鉄に乗るために白タクを利用している。

 中国から世界への玄関である浦東空港、豊かな中国を象徴する最新スポットである夢の国・上海ディズニーランドにほど近い場所に住みながら、現実的な距離はとてつもなく遠い。念願叶ってマイカーを手に入れたシュンが、初めてディズニーランドを訪れるのが、白タクか配車サービスの運転手としてではなく、客としてであればいい、と思う。