4月2日に開催された、鴻海(ホンハイ)精密工業によるシャープ買収の記者発表に、鴻海の郭台銘会長(中央)、シャープの高橋興三社長(右)と共に出席した戴正呉副総裁(写真=伊藤真吾/アフロ)
シャープは5月12日、次期社長に鴻海(ホンハイ)精密工業の戴正呉副総裁が就任すると表明した。鴻海の出資金の払い込みが完了する6月下旬以降の就任を予定する。
戴氏については、今年4月2日、買収の調印後にシャープと鴻海が大阪で開いた共同会見に郭台銘(テリー・ゴウ)会長と共に戴氏が出席したあたりから、郭会長の右腕として日本のメディアでも取り上げられることが増えた。日本通で、流ちょうな日本語を話すことから台湾で鴻海の「日本先生」「鴻海の徳川家康」などというニックネームで呼ばれていることが日本でも知られつつある。
ただ、それ以上の情報はなかなか出てこない。鴻海の地元台湾ではもちろん、戴氏の話題がメディアで取りあげられることは日本に比べれば多い。私は鴻海の主力事業であるEMS(電子機器受託製造サービス)の情報を提供する会員制サイトで毎日発行するメールマガジンの編集をしている関係上、毎日複数の台湾メディアに目を通すことを日課にしているが、紙面に登場しない日はないほど露出の多い郭会長に比べ、戴氏の動静は、「忘年会で挨拶した」「鴻海の台湾工場で開いたシャープ製品の即売会でコメントした」等々といった話題が主。シャープとの共同会見に黄金のマフラーをして登場し日本人の度肝を抜いたような、強烈な個性を持つカリスマ経営者、郭会長に比べると、影の薄さは否めない。
シャープ社長就任で今後、日本でも戴氏の露出は増えていくだろうが、予備知識として、台湾メディアが過去10年に伝えた報道を中心に、彼の人となりを見てみよう。
中小企業の鴻海に転職
戴氏は1951年9月、台湾宜蘭で生まれた。大学は、台湾の大同工学院(現大同大学)機械学部を出た。この大学は、台湾における工業界の人材養成を目的に設立されたものだという。卒業後、同大の経営母体である台湾の総合電機メーカーTatung(大同)社に入社する。その後、2年に及ぶ日本での駐在生活で、日本語の読み書き能力を磨き上げ、後に鴻海で「日本先生」(日本通の意)と呼ばれる礎を築いた。
1985年、戴氏は鴻海に転じる。現在、鴻海は主力の製造工場を置く中国をはじめ世界に約100万人の従業員を抱える巨大企業だが、戴氏の入社当時は300人足らず。売上高も2015年は約4兆5000億新台湾ドル(約15兆円)で、日本企業でこれを上回るのは約27兆円のトヨタのみというほどの規模に成長したが、戴氏の入社当時は3億新台湾ドル(現在のレートで約10億円)程度の中小企業に過ぎなかった。
戴氏の卒業した大同大学の校友会が発行している資料で「傑出した校友」として戴氏を取り上げているのだが、その中で、戴氏が鴻海に入社した経緯について、「友人知人の紹介という縁故入社ではない。新聞の求人広告を見て履歴書を送るという最も正統派の手段で入社を果たした」というエピソードを紹介している。ただ、当時の鴻海は、縁故を使わなければ入社できないような大企業ではなかった。
プレステ2の受注で功績
以後、今日まで31年間、郭氏に近いところで仕事をする中で、戴氏は郭氏の性格を裏の裏まで知り尽くすほどの側近中の側近になる。工商時報は、年額500億新台湾ドル(約1700億円)の予算を握るSMT技術委員会と呼ばれる設備購買部門の責任者を長年、戴氏が務めていることを取りあげ、それだけ郭氏の信頼が厚いことを示すものだと指摘している。
戴氏は2005年、「競争製品」という名前の事業部のトップから、鴻海の副総裁に抜擢された。この人事について台湾市場では当時、「容易に部下を昇進させない郭会長にしては異例の人事で、それだけ戴氏に対する信頼が厚いことを示すものだ」との評価が聞かれたようだ。
郭会長が戴氏に対する評価を高めた大きな理由として台湾メディアが指摘するのは、ソニーの家庭用ゲーム機「プレイステーション2」の製造受注に功績があったというもの。ソニーが発注先を最終決定する1日前の時点で、競合の見積価格をつかみ、鴻海が負けていることを知った戴氏は、新たな見積もりを部下に託し最終便で日本に向かわせる。翌朝、ソニー側の担当者が出社するところを待ち構えていた鴻海の社員が見積もりを手渡し、残り時間1時間で逆転し受注を勝ち取った。この一件で郭氏は、戴氏の情報収集能力の高さや決断のスピードに対する評価を決定的なものにしたという。
プレイステーション2の受注をきっかけに日本企業との関係を深めた戴氏は、日本通としての評価もより確固たるものにした。台湾の経済紙「工商時報」は2016年
3月8日付で、シャープの次期トップとして戴氏が下馬評で最有力になっているとした上で、「日本に通じ、郭氏の信頼も厚く、鴻海を知り尽くし、同社ではコンシューマー向け電子製品部門の幹部として事業の面でも申し分のない実績を上げてきた戴氏が、鴻海の企業文化の伝承者として最適な人選だというのが台湾での一致した評価だ」と報じている。
「コストカッター」としての顔
ただ、郭会長が戴氏を評価したのは、仕事の速さや情報収集能力の高さ、日本通の側面だけではない。それは、「日本先生」「鴻海の徳川家康」と並ぶ、戴氏のもう1つのニックネームから知ることができる。
日本ではこれまでほとんど伝えられていないそのニックネームとは、「ローコスト・テリーの最も有力な執行者」というもの。
いささか古い資料になるが、台湾誌「今周刊」(2005年3月10日号)によると、「ローコスト・テリー」の「テリー」とは、郭会長の英語名のこと。コストカットを武器に鴻海を台湾有数の大企業に育て上げたとして注目を集め始めた郭氏に、台湾のメディアや民衆は畏敬の念を込めて「ローコスト・テリー」というあだ名付けた。そして戴氏は、郭会長が理想とするコストカットを、彼の部下の中で最も理解し、忠実にそして厳格に実施に移す能力を備えた人物だとして、「ローコスト・テリーの最も有力な執行者」と呼ばれるようになった。
戴氏をよく知るあるアナリストは、戴氏の仕事の手法を「日本から学んだスタイルだ」と評する。日本から学んだスタイルとは、「働きバチ」と称されたハードワークのことを指す。
1974年、数人の友人等と共同で、台北に白黒テレビのチャンネルのつまみを作るプラスチック成型の工場を始め製造業の世界に入った郭会長も、「町工場から脱皮するには、優れた金型が無ければ無理だ」と思い至り、日本の金型技術を学び設備を導入したことでその後の飛躍につなげたことが知られているが、今でも長いときには1日16時間働くというハードワークも、もとは高度成長時代の日本から学んだものだと指摘する向きがある。
すなわち郭氏、戴氏とも、日本から学んだハードワークをその後の成功体験につなげていることになる。
台湾経由で学ぶ日本の高度成長の成功体験
まだシャープ買収の交渉中だった今年の2月初め、郭会長が、雇用を守るのを明言したのは40歳以下の社員だけだという話が伝わっていたこと、体力が徐々に衰え始める40歳以上では、鴻海のハードワークについていけないのではないかということについては、シャープが2月末に鴻海の買収提案の受け入れを決めた直後に書いたコラムで触れた。
日本の40代以下と言えば、バブルが崩壊後の就職氷河期を経て社会に出たいわゆるロスジェネ世代で、高度成長時代の日本のことを実体験として全く知らない一群だ。シャープでは今後、働きバチと揶揄されながら懸命に働いて高度成長を実現した日本から学び、いまではその日本人も一目置くハードワークに、徹底したコストカットを加えて1代で世界に冠たる巨大企業を築き上げた台湾人の郭氏と戴氏から、成功体験を学び、シャープの経営再建に取り組むことになる。
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