農村にできたどの駅の周囲にも、都会と見紛うほどの摩天楼がそびえるなど、見た目のインパクトには強烈なものがある。ただ、駅ができた安徽省のいくつかの土地でタクシーの運転手や地元の人に話を聞いてみると、「村落を潰して新都心を作ったり工場を誘致したりしている」「都市化と開発を目当てにしたビジネス客が増えている」「観光客が増えた」など、インフラを整備することにより、これまで都会で先行して起こったことを農村でもなぞり始めていることが分かる。

 こうした中、都会で働くこれら地方出身者がもっとも注目しているのは、就業機会が増え始めていることだ。シュンの実家がある村落も既に外資系の製薬会社の工場が建つことが決まっていて、数年後に村ごと移転することになっているそうだが、別の場所に新たな住宅が用意されるほか、希望すればその製薬工場でワーカーとして働くことも、立ち退きの契約で保障されている。

 就業機会が増え始めていることを受け、上海などの都会からUターンを考える人は確実に増えている。

生き甲斐取り戻す中高年

新幹線開通に伴う開発で潤った人が多いのか、農村にも高級車が確実に増えた(安徽省宣城)
新幹線開通に伴う開発で潤った人が多いのか、農村にも高級車が確実に増えた(安徽省宣城)

 シュンの父親、シーシュン(51歳)は、故郷の新幹線開通と上海ディズニーランド開園をきっかけに、故郷に帰ることを決断した。

 小学校3年で教育を終えたシーシュンは、実家の綿花畑で農作業をしたり農閑期には上海など都会に出て警備員などをしたりして人生を送ってきたが、45歳にさしかかる当たりから上海では一切、仕事が見つからなくなり、この5~6年は息子が上海に借りる家に同居しながら無職という状態が続いていた。すると、3年前から頭から腹にかけて原因不明の湿疹に苦しみ始めた。病院を掛け持ちし、漢方から西洋薬まで試したが好転しない。ネットで調べた息子のシュンが私に電話してきて、「資生堂のエンクロン軟膏という薬がいいらしい。悪いけど次に帰国するときに日本で買ってきて」と頼まれ持ち帰ると、一度はこれが効いて、湿疹が少なくなった。シュンもシーシュンも喜んで、「日本に買い物ツアーに行く中国人が、日本の薬は『神薬』だとっいって大量に買い込んでくるという番組をテレビで観たけれど、それは本当だった」と喜んでいた。ところがしばらくすると再び悪化し、いくら神薬を塗っても効果がなくなってしまった。

 そして昨年末、シーシュンから私に「オレだけ田舎に引き揚げることにした」と電話がかかってきた。理由を尋ねると、上海ディズニーランドで「急募50人。学歴・経験不問、年齢50代可」というような警備員と清掃員の求人広告を息子がネットで複数見つけ、掲載されていた電話番号に電話したものの、年齢を聞かれて51歳だと告げた途端、どれも電話を切られたのだという。

 「50歳になったばかりなんだから、まだまだ働けるはずだという気持ちを持ち続けてきたが、今回のことで踏ん切りがついた。上海ディズーランドって、さまざまな職種で1万人も採用するっていうんだろ? 警備や清掃の仕事も、オレが電話した所だけでも、全部で500人分は仕事の口があったはずだよ。でも、ダメだった。潮時だよ」

次ページ 低すぎる収入に若者はUターンに二の足