これに対して、食パンに5元(80円)以下の値を付けている店のパンは、濃厚にロウソクの味がした。ロウソクの味がしたパンのすべてにドブ油から作ったマーガリンが使われていたとは思わないが、粗悪なバターや油を使っていたのだろう。ただそれも、上海では2012年ごろまでには、ロウソクの味のするパンに出くわすことはほとんどなくなった。
しかし、シュンの故郷ではいつまでもパンはロウソク味のままだった。ところが昨年、すなわち2015年の秋、シュンの実家に遊びに行った帰り、彼の故郷の町に3カ月前に開通したばかりだという新幹線駅の売店でいつものようにパンを買い込み、車中でかぶりついた時に、ロウソクの味がしなくなっていることに気付いた。
とうとうロウソクの味がしなくなったか。感慨にふけりながら私はもう1つあることに気付いた。過去数年の中国の旅を改めて振り返ってみると、最寄りの駅まで新幹線に乗って移動した土地のパンはロウソクの味がせず、新幹線が通っていない土地で買ったパンは、昨年あたりでもまだ濃厚にロウソクの味がしたということだ。新幹線の開通でその土地の経済が勢いづきロウソク味のパンを駆逐するということなのだと思う。
鄧小平のフランスパンは30年で農村へ
改革開放政策の生みの親であり、1980年代から90年代半ばまでの中国に最高実力者として君臨した鄧小平氏は、フランスのパン、特にクロワッサン好きとして有名だったということが、中国人記者や外交官の随想録などによって明かされている。16才の時に勤労学生としてフランスに留学した鄧氏は、毎朝工場に出勤する途中にあるパン屋でクロワッサンを1つ買って食べるうちにすっかり好物になり、帰国の際、クロワッサンを100個も買い込み友人たちへのお土産としたという。
その後も、1974年、国連総会に中国代表として出席した鄧氏は、ニューヨークの街に出てパン屋を見つけると、ポケットにあった10数ドルを全部はたいて、やはり1920年代のパリに留学経験のある周恩来総理へのお土産としてクロワッサンを買い求めた。さらに1984年に香港人が広東省の広州に開いた5つ星ホテル白天鵝賓館のウエスタンレストランでフランスパンを食べ、「広州でもこんなにおいしいパンを作れるようになった。改革開放の道は間違っていないということだ」と感慨深げに語ったという(「貴陽晩報」2015年1月26日付)。
これらのエピソードでは、パンの味について具体的な言及はされていないものの、少なくともロウソクの味はしなかったに違いない。鄧氏が広州で味わったフランスパンの味が上海の庶民のレベルにまで降臨してくるのに20年、シュンの故郷に届くまでには30年以上の時間を要したことになる。
中国政府の国家鉄路(鉄道)局によると、中国の新幹線(高速鉄道)の総営業距離は2015年末時点で1万9000キロ。これだけを聞いてもピンと来ないが、日本、フランス、イギリスなど、中国を除く国・地域の高速鉄道の営業距離をすべて合算すると1万1605キロ(2013年11月時点)だというから、中国1国でそれを遥かに上回っている。また、2015年末時点で人口50万以上の都市は基本的にほぼ新幹線のネットワークが網羅したと中国の鉄路局は指摘しているが、シュンの故郷である安徽省の村のように、ほんの2~3年前まで見渡す限りすべて農地だったような土地にも、高速鉄道網が届き始めている。
就業機会は増えているが
では、新幹線の開通は、ロウソク味のしないパンのほかに、何を農村にもたらしているのか。
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