シュン(24歳)もそのうちの1人。安徽省の農村出身で、高校受験に失敗した彼は、16歳で母親が働く上海に出てきて、親戚の紹介で花市場で働き始めた。彼の両親は私と同じ1965年生まれで今年51歳だが、2人とも、小学校しか出ていない。父親の方は、「小学校には6年通ったけれども、結局3年生までしか上がれなかった」(本人)のだという。このシリーズでまた後に触れることになると思うが、中国で現在40代までの農村出身の人たちの中で、シュンの父親の学歴は特に珍しいものではない。

 さて、花市場に就職したシュンだったが、仕事の辛さに音を上げて2週間で辞め、父親が農業をして暮らす実家に帰った。ちなみに、私がシュンと知り合ったのは、初めての仕事を辞め、失意を抱えてシュン少年が故郷に帰る長距離バスの中だった。その後、東北地方は遼寧省の瀋陽で親戚の子守、浙江省の海沿いの町・寧波の海鮮レストランでウエーター、再び上海に戻ってきて美容師と、職も住む土地も転々としたが、2年前、上海の浦東空港に近い物流倉庫で軽作業の仕事に就いた。給料は残業の度合いで変動したが、平均すると4000元(約6万8000円)にはなった。その年、近所の電子機器組立工場で工員をしていたやはり安徽省の農村出身の17歳の少女と知り合い結婚、翌年には娘も生まれた。妻の給料と合わせ世帯収入は7000元(約12万円)。「仕事でパソコンの操作も覚え、昇給もした。初めて仕事が面白いと思えるようになった」(シュン)。

 ゆくゆくはマイカーも買って、娘をドライブに連れて行きたい、そのためにはまず免許だと、昨年には1万元(約17万円)をかけて自動車の免許も取得。一児の父親になり、仕事に手応えも感じ始めた。去年の半ば頃までの2年あまり、シュンは社会人になって初めて、生活に充実感を覚え、自分の将来に夢も描ける生活を送っていた。

万博とディズニーに夢を見た

チョウさんの住んでいた廃墟。劣悪な住環境に住み上海の成長を下支えしてきた地方出身者らが、成果の果実を味わうことなくいま、上海から追い立てられようとしている

 家政婦をしているチョウさんも、シングルマザーになってからの生活は苦労続きだが、陳列棚のセールスを始めた2008年から2010年ごろまでの数年は、充実した毎日を送っていた。「給料は、基本給がとても少なくて歩合の占める比率の方が多かった。でも、頑張ればそれだけ給料に跳ね返ってきた。当時は、給料の半分を田舎の両親に仕送りしてもなお、上海での生活費は十分に残ったし貯金もできた。実家をリフォームするお金を貯めるのも難しくないと思っていた。上海に来て良かったと思った。子供を妊娠して仕事を辞めざるを得なくなったが、あのまま続けていれば、余裕はなくても、経済的に困ることはなかったと思う」。

 社会に出て8年あまり、日々目の前のことで精一杯という暮らしを続けてきたチョウさんが、自分の将来のことについて初めて、楽しい思いを巡らせることができるようになった2008年は、北京で中国初のオリンピックが開催された年である。2年後の2010年には上海で万博があった。そしてこの年、ウォルトディズニー社と中国側が、上海ディズニーランドの建設で正式に調印している。