内田:ふつうの人たちです。そんな社会集団も固有の「物語」の中で生きているということが理解できないらしい。宗教とか美意識とか価値観とか生活規範とかいうのはそれぞれの集団ごとに違うわけです。それは違うのであって、それを良い悪いで論じてもはじまらない。

 中国の場合、中華皇帝が宇宙の中心にいて、「王化の光」が同心円的に広がっている。光の届かない暗がりには化外(ケガイ)の民がいる。でも、化外の民といえども、場合によっては王化の光に照らされて文明化される可能性もある。

 だから、化外の地に住む人々は潜在的には中華皇帝の臣下たちなのですけれど、皇帝にはその地を実効支配する義理はない。冊封して、官位を与えて、朝貢してきたら下賜品を与える。それだけです。現実的には支配していないけれど、形式的には支配者である。それが華夷秩序における中国とその辺境との関係です。でも、化外の民が「ここは中国の支配圏じゃない。オレの土地だ」と言って、独立しようとすると、「いや、そこは中国だ」と怒り出す。だから、化外の民が何かしでかしても、それについての責任は取らない。

 清末に台湾の原住民が沖縄の漂着民を殺した事件がありましたが、日本政府がそれについて清国に抗議したら「そんな化外の民のしでかしたことは知らん」と言い放ったけれど、「じゃあ、台湾は独立国なのか」と聞くと「いや、そこは中国だ」と言う。これを当時の明治政府は「言っていることが支離滅裂」と批判しましたけれど、それはあきらかに言いがかりで、日本は中国というのが「そういう国」だということは卑弥呼の時代から熟知していたわけです。

 中国がどういう統治原理を持ってやっているのかは僕たちには実感としては分からないけれど、知識としては学習できます。だから、その知識に基づいて外交すればいいんです。

山田:日本の国益を考えて行動すればいいということですよね。

辺境には歴史的役割がある

内田:そうです。非常にプラグマチックなことです。良い悪いを言うよりもまず、どういう主観的合理性に基づいて判断し、行動しているかを知らなければならないということです。

山田:『日本辺境論』でもお書きになっていますけど、辺境という自覚を持って、ただし気概を持ってということですよね。

内田:そうです。

山田:そこで卑屈になれという話じゃないですからね。

内田:辺境には辺境の歴史的役割がありますから。現にユーラシア大陸で発生した文物のうちで、もうインドにも中国にも韓国にも残っていなくて、日本だけに残っているというものがあるわけですよ。仏教がそうですし、雅楽もそうですし、正倉院の御物だって、もう発祥の地では失われたものがたくさん含まれているでしょう。

 辺境にものが蓄積される。アーカイブするのが辺境の大切な仕事なわけです。

山田:吹きだまりのところですね。

内田:田舎の蔵みたいなものです。古いものは何でもここに収まっている。中には文化的に希少価値のあるものがある。だから、それを見にやって来る人がいる。中国人が日本に何を見に来ているのか、たぶんユーラシア大陸の辺境のところに、かつて大陸にあったものが残っているので、それを見に来ているんじゃないでしょうか。地層を見るような感じで日本に来ているんじゃないかな。

山田:面白いですね。

(以下第3回「中国には優秀な人材を吸い上げる仕組みが必要」に続く)