ここ数年の中国、そして日本を見る上で、ぜひ考えをうかがいたい方がいた。哲学者で多くの著書を持つ内田樹さんだ。内田さんの書籍に関しては多くを語る必要はないが、中でも私が特に影響を受けたのが、内田さんが2007年に執筆された『街場の中国論』だ(増補版は2011年に発行されている)。私は、中国関連の執筆を生業としているわけだが、常に同書を手元において参考にさせていただいている。

 現在は、武道と哲学研究のための学塾・凱風館も主宰されている内田さん。今回、凱風館を訪ねて、内田さんが考える、現在の『街場の中国論』などについて尋ねた

内田樹さん(右)と筆者(写真=大亀京助、以下同)

山田:私は香港、上海と30年近く中国語圏に住んでいます。そうした中、2005年あたりから靖国や歴史教科書の問題などをめぐって反日デモなどが盛んになりました。日本でも、それを機に中国に関する報道というと反中、嫌中みたいなもの一色になっていき、何か違和感を感じていました。

 そうした中で2007年に内田さんの書かれた『街場の中国論』を読みました。この本は、大学で講義された内容がベースになっているのですが、学生さんにこうお話になっています。「これは将来中国語に翻訳されて、中国の人が読むかもしれないんだから、それをちゃんと念頭に置いて発言しなさい」と。ここでもうひざを打ちました。日本にもこんな人がいてくださったんだと。それに続いて、「日本人だけに通じる仲間内の話法で話すのもやめなさい」というふうにおっしゃっていたりとか、もう我が意を得たりと感じました。

 さらに、『街場の中国論』の増補版は2011年に出されましたが、その冒頭で、日本の反中や嫌中の人たちは、とにかく自分たちの価値観と違うことをやっている中国にどうも気分が悪いと言っているけど、「違うんだから仕方ないというところから入るべきだ」と。人間だから感情はあるけれども、それをいったん置いて物を考えないと冷静な判断はできないよ、と内田さんはおっしゃっています。その上で、中国とはお互いに平等なパートナーとして関係を構築していきたいし、なおかつ13億人の人口を抱える大国がとにかく安定していってもらいたいと願うと続けてらっしゃいました。誤解を恐れずに言えばどれも当たり前のことなんですけれども、その当たり前のことが日本のメディアでまったく見られなかった。それがとても新鮮な意見に映りました。

内田:常識が新鮮というのは困りますね。

山田:本当です。そういうことで、一気に内田さんのファンになりました。

内田:ありがとうございます。

山田:とにかく常備薬みたいな形で、私は『街場の中国論』を手元に置いています。もちろん、頻繁に読むというわけではないんですが、中国を見るときには、感情を置いて冷静にということを気付かせてくれる本で、とても貴重な本として活用させていただいています。

 2011年に増補版を出されてからからもう7年たちます。今回は是非、今現在の『街場の中国論』をお伺いしたいなと思っています。まず最近の中国、習近平になってもう2期目に入りましたけれども、どういうふうにご覧になっていますか。

今の中国は安定期にある

内田:僕が中国をわりとまじめに観察し始めたのは毛沢東時代からなわけですが、そこから考えてみると、今ほど安定的な政権はわりと珍しいんじゃないかという気がします。もちろん、短期的に見ればいろいろありますから、日本のメディアはそこに主観的願望を投影して中国の政治が大きな問題を抱えているように書きますが、文化大革命の時代とか天安門事件の時代から比べてみると、今の中国は相対的には安定期にあると思います。

 とにかく過剰にイデオロギー的ではなくなりつつあると思います。アメリカが退潮してきたこの国際政治の空隙を突いて「世界のリーダー」になるという野望が中国にはありますから、国際社会で認知されることをかなり優先的に配慮している。そのためには国際社会の基本的なルールを守ろうという努力はしているように見えます。

 国内においてはネットの情報規制とか人権弾圧とかご本(『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』)で書かれていたような格差の問題がありますけれど、傍から見ているとそういった問題に関しても、中国はちょっと恥ずかしがっているというか、微妙にごまかそうとしている。「大した問題じゃないんだ」というふうに言い訳している感じがします。毛沢東の時代だったら、「大した問題じゃない」どころか「これが正しいんだ。他の国も中国に学べ」という感じでしたけれど、そうではないですよね。