私は昨年、河南省の辺境にある農村地帯から上海に出てきて廃品回収をしている友人が帰省するのに合わせて彼の自宅にお邪魔し春節を過ごしたのだが、やはり大量に買い込んだ爆竹と花火を納屋にしまい込んでいた。そこで、何がそんなに楽しいのかと単刀直入に聞いてみると、40代の友人はきょとんとした顔で、「因為、開心嘛」(だって、楽しいじゃん)と答えた。理屈抜きで楽しい、という意味である。中国人にとって、爆竹や花火は体の深いところに訴えかける何かがあって、ストレスも何もかもを吹き飛ばす効果があるのだろう。

「自首」「通報」町に溢れる寒々しい言葉

 その爆竹が大都市の多くで禁止された。上海では年の瀬から至る所に禁止を告げるポスターや横断幕が掲げられ、「違反を通報すれば報償」「違法行為を発見したらすぐ119番に通報せよ」「隠している者は自首を奨励する」といった寒々しい言葉が師走の町に溢れかえった。爆竹・花火打ち上げの3つのピークの中でも特に激しい年越しの夜に上海当局は、監視のために警察やボランティアを動員したのだが、その数なんと30万人と言うから驚く。私の住むアパートの入り口にも、年越しの夜は数人の警官が張り付いていた。その甲斐あってか見事に爆竹や花火の音は聞こえなかった。

 ところで、過去数年にわたり反腐敗による幹部の摘発が相次ぐ中、春節の爆竹に対する厳しい締め付けが行われたことで、「まるで文化大革命の時代が戻ってきたようだ」、といった批評を、日本のネットや報道で見かけることがある。「通報」「自主」などという言葉の羅列を町中で目の当たりにすると、確かにいい気持ちはしない。ただ、文革のまっただ中に生きた中国人に話を聞くと、「文革時代に似てるというのはさすがに大げさ」という反応があることを伝えておきたいと思う。

 北京で新聞記者の家庭に生まれたという60代のある女性は、文革のさなか両親の勤めていた新聞社の社宅のアパートに住んでいたが、「『今日は何号棟から同僚が飛び降りた』『昨日は何号棟から飛び降りた』というような話が毎日のようにあった。地獄だった」と当時を振り返る。

農村に溢れる習近平夫妻のポスターの意味

 やはり文革当時、天津で幼少年時代を過ごした50代のある男性は、遊び場にしていた近所の雑木林で時々、死んだ人間が転がっていたのを鮮明に覚えているという。「子供のころ、死体を見るのは特別なことでもなかった」。この男性が生まれたのは日本で東京オリンピックが開かれた1964年。私は彼の1つ年下だが、これまで目にした死体は、亡くなった自分の祖父だけである。

 中国の国や人の行動や言動を見て「どうして中国はこうなのかな」と理解に苦しむことも少なくない。ただ、同時代に生まれながら、幼少期に見たもの聞いたもの触れたものがまるで違うということを知ると、思考や価値観が違うこと自体は当然だということには得心がいく。