言行不一致のなぜ

町角にあった「ここにゴミを捨てるヤツは一家皆殺し」の警告(北京朝陽区)

 習近平国家主席は2017年12月31日、毎年恒例となっている新年を迎える挨拶で、18年も引き続き貧困対策を強化するとした上で、2020年には「小康社会」(ゆとりのある社会)を実現し、中国数千年の歴史上初めて極度の貧困のない社会を打ち立てると国民に語りかけている。

 私はこれを、美辞麗句を並べただけだとは思わない。中華人民共和国自体、農民を味方に付けて成立した農民革命の国。農民を敵に回したりないがしろにし過ぎたときの恐ろしさは、私ごときに言われるまでもなく分かっている。

 では、習主席の言っていることと、北京や上海で起きていることが違うのはなぜなのか。なぜ正反対のことをするのか。単純に、その点が不思議でならない。北京を歩けばその疑問を解く糸口がいささかなりとも見つかるだろうか。

 そこで私は1月末、北京を歩いてみることにした。ただこれまで、上海で強引な取り壊しを散々見てきた経験から、大火のあった新建村は騒動から2カ月後のいまのこのこ訪れたところで、既に取り壊され見渡す限りのがれきの山だろうことが容易に想像がつく。そこでまずは、やはり農民工の立ち退きを巡り騒動があったという北京北部の朝陽区のある町を訪ねた。

 バスを降り、人通りの少ない村の目抜き通りを歩き始めてすぐに目に入った張り紙を見て、この村の住人たちの置かれている環境がたちどころに想像できた。それには「有償献血」「互助献血」と書かれていた。売血である。そして、その張り紙のあった建物には、細いガラス窓がはまるドアの向こうに女性が1人で座っているオランダの飾り窓に似た家が3軒ほど並んでいた。男も女も売るものがもはやなく、肉体を切り刻むしか術がない人びとが暮らす町であるのは間違いがないようだった。(「中国の出稼ぎ青年を無差別殺傷に追い込んだもの」に続く)