中国人が日本を見直すきっかけが大震災だった
瀬口:その最初のきっかけは東日本大震災の3.11なんです。
2009年でGDPを抜いて、日本は大したことないなと感じた。さらには、リーマンショックもあった、日本だけでなく欧米でもこんなになっちゃうんだと中国の人は感じた。中国はそのときにほぼ1年で経済が回復したので、欧米に対する尊敬の念も落ちていった。あ、俺たちはナンバーワンじゃんと。世界のGDPを支える力をもつのは、中国。ナンバーワンになっちゃった。もう海外には学ぶべきモデルがないという感じになったときに、3.11が起きたわけです。
3.11が起きて、2つ驚いたことがあった。1つは、日本人のモラル。米国で起きたハリケーンのカトリーナ、あのときには略奪が起こりました。また、インドネシアではスマトラ島沖地震による津波の被害がありましたが、あのときも略奪が起きた。
その一方で日本はどうだったか。3.11直後の日本の毎日の光景って、中国ではほとんどのニュース番組が1週間の間ずっと特集し続けたんですよ。映した光景といえば最初は津波で人が悲しむ光景。2~3日たってからコンビニが開いた。日本人の被災者は店の前できちんと並んでいて略奪する人はいない。お店の人はお金がない人にも商品を渡して、そして1カ月たったらその代金がちゃんと返ってきた。何だ、この連中は!こんなモラルが高い国が世界にあるのか!というのが中国人の驚きだった。
山田:なるほど。
瀬口:もう一つは、津波による被害で日本の工場の稼動が止まっちゃいましたよね。そうしたら、1カ月ぐらい経ってから、中国の工場がばたばたばたと止まったんです。
在庫がある間は工場が動いたんですけれども、日本からの部品の供給が途絶えて、在庫がなくなったあたりから中国各地の工場が次々に止まりはじめたんです。それが完全に復旧するのに数カ月かかったんですよね。日本の東北地方に中国はこんなに依存していたのかと気付いた。日本はすごい国なんだ、俺たちはばかにし過ぎていたよなと。
特に1980年代生まれ以降の人がそれを感じたんです。彼らは1980年代に山口百恵とか高倉健とかが中国で人気があった、あの時代を知らないですよ。『おしん』も知らない。バブル崩壊後に落ちぶれていく日本しか見たことがない。だから、もう彼らは日本が眼中になかったんです。それが20代とか30代になって、初めて日本のすごさを感じたのが3.11だったんですね。

山田:若い人たちが見直したのは大きいですね。
瀬口:3.11の前に1つあったのは、2008年に起きた四川省の大地震発生時に日本から派遣された国際緊急救援隊の行いでした。彼らはがれきの下敷きになっていた母娘を必死に救出したが、残念ながら亡くなっていた。このとき、救援隊員は母娘の遺体に対して全員で黙とうを捧げ、その様子が中国のテレビで繰り返し報道された。中国の救援隊は遺体をぞんざいに扱うのに対して、日本人は礼を尽くしたというのが中国全土に流れて、ものすごく感動した人が多くいたのです。その年の8月に開催された北京オリンピックで日本選手団の入場行進のとき、日本の救援隊への感謝をこめてスタンディングオベーションがあったことは日本では伝えられていません。
中国の特に若い20代、30代の人たちが、日本がこんな国なんだというのがそのときに分かりはじめた。そして3.11の出来事によって、日本をもう1回考えなくちゃいけないねとなってきたわけです。
その後に米国大統領選挙でトランプ候補が出てきて、サンダース候補も出てきて、ついにトランプ大統領が誕生した。ヨーロッパではピケティの著書が大きな反響を呼び、難民問題がクローズアップされた。いずれも根底には所得格差問題を放置したエスタブリッシュメントに対する反感があります。その後の欧米で起きた現象というのは社会の分断が進んで、多くの国民が苦しみ、それに対して行政や政治家、企業経営者が何もできていない。このまま中国があの世界に突っ込んだら、共産党を揺るがしかねない。
山田:そうですね。
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