あかぎれだらけの手

あかぎれで痛々しい少年の手(写真:Imaginechina/アフロ)
あかぎれで痛々しい少年の手(写真:Imaginechina/アフロ)

 ネットに拡散した王くんの写真には、髪の毛と眉毛を霜で真っ白にしたカット以外のものも何枚かある。その1枚が、王くんの手をアップで撮った写真だ。

 あかぎれだらけで赤黒く浮腫んだ、王くんの幼い手。

 この写真を見て、私は2007年、ある若い農民工の手を写真に撮らせてもらった時のことを思い出した。10年前の彼は、王くんそっくりのあかぎれだらけの手をしていたのだ。あれから10年後のいま、彼はいったいどんな手をしているのだろうか。 

 彼の名前はチョウシュンという。安徽省農村出身の1991年生まれ。今年27歳になる一児の父親だ。高校受験に失敗した彼は、15歳で母親が働く上海に出てきて、親戚の紹介で花市場で働き始めた。彼の両親は1965年生まれの私とほぼ同世代だが、2人とも、小学校しか出ていない。15歳で花市場に就職したチョウシュンだったが、仕事の辛さに音を上げて2週間で辞め、父親が農業をして暮らす実家に帰った。その後、東北地方は遼寧省の瀋陽で親戚の子守、浙江省の海沿いの町・寧波の海鮮レストランでウエーター、再び上海に戻ってきて美容師と、職も住む土地も転々とした後、2012年に上海の浦東空港に近い物流倉庫で軽作業の仕事に就いた。給料は残業の度合いで変動したが、平均すると4000元にはなった。

 その年、近所の電子機器組立工場で工員をしていたやはり安徽省の農村出身の17歳の少女と知り合い翌2013年に結婚、この年に娘も生まれた。妻の給料と合わせ世帯収入は当時7000元。「仕事でパソコンの操作も覚え、昇給もした。初めて仕事が面白いと思えるようになった」(チョウシュン)。ゆくゆくはマイカーも買って、娘をドライブに連れて行きたい、そのためにはまず免許だと、2015年には1万元をかけて自動車の免許も取得。一児の父親になり、仕事に手応えも感じ始めた。2015年の半ば頃までの2年あまり、すなわち22~24歳のチョウシュンは社会人になって初めて、生活に充実感を覚え、自分の将来に夢も描ける生活を送っていた。

 ところが、3年あまり務めた物流倉庫が2015年に不景気で突然閉鎖になり、その後勤めた別の物流倉庫も不景気で半年でクビ、再度見つけた別の倉庫では、給料は前職の2800元から2500元に下がってしまった。過去4年、仕事は一貫して空港の物流倉庫だが、3年前の4500元をピークに下がる一方で、5年前の給料だった3000元になかなか届かないでいた。

 チョウシュンは、彼に初めて出会った15歳の時からしばらくの間、いつ会っても赤黒く浮腫んだあかぎれだらけの手をしていた。実家にいたころは、上海で働いている母親の代わりに炊事洗濯など家事の一切を、蛇口からお湯の出ない自宅で15歳の彼が担っていたためであり、上海に出てきてからは、花市場、レストラン、美容師と冷たい水を扱う仕事をしていたためだろう。高校生活を謳歌しているはずの年齢の少年が頻繁に、痛む手をさすり顔をしかめる様子を目の当たりにした私は、農民工を取り巻く厳しい現実の象徴として、さらに何年か後、チョウシュンの状況が好転し「あのころはこんな手をして頑張って働いていたね」と笑って振り返ることができるようにとの願いを込めて、チョウシュンに手を撮らせてほしいと頼んだのだった。

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