ネットで拡散した髪と眉が霜で覆われた中国雲南の小学生の写真(写真:Imaginechina/アフロ)
今月上旬、寒さで髪の毛と眉毛を霜で真っ白に凍らせて小学校に登校する中国人の8歳の男の子の写真が中国のネットに出回り拡散し、中国で改めて内陸部の農村に住む子供たちの貧困問題がクローズアップされた。その後、Yahoo!JAPANや英BBC、米ニューヨークタイムズ等、日本や欧米のメディアも相次いでこれを伝えたため、この少年の写真を見たという読者も少なくないことだろう。
報道をまとめると、話の概要はこうだ。この少年は雲南省魯甸県の農村に住む王福満くん。自宅から小学校まで片道4.5キロの山道を毎日歩いて通っている。写真が撮られた日の気温はマイナス9℃だったそうだが、写真に写る王くんは、ダウンジャケットどころか綿も入っていないような薄手のシャツジャケットに丸首のシャツという薄着。真冬なのに秋口のような服をまとっている王くんの出で立ちを見れば、彼が厳しい経済事情に置かれていることは容易に想像がつく。
冬になると冷え込む土地とは言え、髪の毛も眉毛も真っ白になるほど凍えることは珍しかったのだろうか、担任の先生が教室に入ってきた王くんを見るに見かねて写真を撮り、校長をはじめ何人かにこれを送って、現地の子供たちの窮状を訴えた。これがSNSやミニブログで転送やいいね!が繰り返され、これをきっかけに中国では、王くんのような厳しい暮らしを余儀なくされている子供たちの存在と、子供の貧困問題についての関心が高まりつつある。
王くんは祖母と姉の3人暮らし。父親は都会に出稼ぎに出ていて、年に数回しか王くんの住む自宅に戻ってこれない。母親は、王くんがもっと小さいころに家を出て行ったまま、帰ってこなくなったのだという。
霜少年も留守児童
中国では、王くんの父親のような農村からの出稼ぎ労働者を「農民工」、王くんのような農村の自宅で親の帰りを待つ子供たちを「留守児童」と呼ぶ。中国国家統計局が2017年4月に公表した統計によると、農民工は全国に約2億8000万人というから、中国の約5人に1人が農民工ということになる。一方、留守児童は、2010年に実施された最新の人口センサスで、全国に6102万人いるとされている。
子供を置いて働きに出ざるを得ない理由は大きく分けて2つある。1つは、出稼ぎ者たちの自宅がある農村部では現金を稼げる仕事がなく、子供を進学させることはおろか、着るもの履くものも満足に買うことができないこと。もう1つは、中国の戸籍制度により、農村で生まれた農村戸籍の子供たちは、戸籍地の高校からしか大学を受験できない、つまり親たちの働く都会で受けることができないためである。
では、都会に出れば十分な金が稼げるのかと言えばもちろんそんな保証はない。
2001年から上海に住んでいる私は、安徽省や河南省といった内陸の農村から上海に出てきて肉体労働やウェーター、物流倉庫等で働いている何人かの農民工と縁あって知り合い、友だち付き合いをしながら10年以上にわたって見てきた彼らの生活を『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』として1冊にまとめた。なので、農民工たちの暮らしぶりについてはいささか知見があるのだが、例えば上海の場合、中卒などの学歴でも働けるビルの清掃の仕事の報酬は現状、月額3000元(1元=約17円)程度。上海の中心部でワンルームのアパートを借りようと思えばこの金額ではもはや無理だ。出稼ぎ先の上海で住まいを自前で借りるのであれば、夫婦共稼ぎで6000元の月収があってようやく幾ばくかの仕送りができる程度しか手元には残らない。母親がいなくなったという王くんの場合は稼ぎ手が父親だけ。上海で働く私の農民工の知人にも、田舎に残した1人娘を家政婦をして女手一つで育てているシングルマザーのチャオさんという女性がいるが、その彼女の境遇や、王くんの出で立ちから想像しても、王くん一家の経済的環境は困窮を極めているだろうと思う。
この連載「中国生活「モノ」がたり~速写中国制造」が『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』として単行本になりました。
各界の著名人から好意的なレビューをいただいています。
●中国が熱さを忘れつつある中で、中国に対する熱い思いに満ちた本と言えるだろう。さまざまな読み方、活用法がある本と思うが、私には何より著者、山田氏のその「熱さ」が魅力的だった。
(中国問題の研究家 遠藤誉氏によるレビュー「執念の定点観測で切り取った、中国農民工の心?」より)
●もうひとつの違いは、ロウソクの味がするパンしか食べられない貧しい農民工たちの心の豊かさだ。外国人である山田氏と友情を築いた彼らは、自分が食べていくことさえ困難なのに、必ず「ご飯を食べに来て」と招待する。そこに、ホロリとした。
(米国在住のエッセイスト 渡辺由佳里氏によるレビュー「繁栄に取り残される中国の『ヒルビリー』とは?」より)
●しかし、奇妙なことだが、同書を読後、陰鬱な印象かというと、実はそうでもない。同書には、絶望的な内容があふれてはいる。それなのに、なぜか一抹の希望を感じさせられる。おそらく、それはn=1の農民に愛情を込めて付き添ってきた著者の生き様に、読むものが感動を受けるからだ、と私は思う。
(調達・購買コンサルタント/講演家 坂口孝則氏によるレビュー「年収3万の農民に未婚の母、中国貧民の向かう先」より)
あかぎれだらけの手
あかぎれで痛々しい少年の手(写真:Imaginechina/アフロ)
ネットに拡散した王くんの写真には、髪の毛と眉毛を霜で真っ白にしたカット以外のものも何枚かある。その1枚が、王くんの手をアップで撮った写真だ。
あかぎれだらけで赤黒く浮腫んだ、王くんの幼い手。
この写真を見て、私は2007年、ある若い農民工の手を写真に撮らせてもらった時のことを思い出した。10年前の彼は、王くんそっくりのあかぎれだらけの手をしていたのだ。あれから10年後のいま、彼はいったいどんな手をしているのだろうか。
彼の名前はチョウシュンという。安徽省農村出身の1991年生まれ。今年27歳になる一児の父親だ。高校受験に失敗した彼は、15歳で母親が働く上海に出てきて、親戚の紹介で花市場で働き始めた。彼の両親は1965年生まれの私とほぼ同世代だが、2人とも、小学校しか出ていない。15歳で花市場に就職したチョウシュンだったが、仕事の辛さに音を上げて2週間で辞め、父親が農業をして暮らす実家に帰った。その後、東北地方は遼寧省の瀋陽で親戚の子守、浙江省の海沿いの町・寧波の海鮮レストランでウエーター、再び上海に戻ってきて美容師と、職も住む土地も転々とした後、2012年に上海の浦東空港に近い物流倉庫で軽作業の仕事に就いた。給料は残業の度合いで変動したが、平均すると4000元にはなった。
その年、近所の電子機器組立工場で工員をしていたやはり安徽省の農村出身の17歳の少女と知り合い翌2013年に結婚、この年に娘も生まれた。妻の給料と合わせ世帯収入は当時7000元。「仕事でパソコンの操作も覚え、昇給もした。初めて仕事が面白いと思えるようになった」(チョウシュン)。ゆくゆくはマイカーも買って、娘をドライブに連れて行きたい、そのためにはまず免許だと、2015年には1万元をかけて自動車の免許も取得。一児の父親になり、仕事に手応えも感じ始めた。2015年の半ば頃までの2年あまり、すなわち22~24歳のチョウシュンは社会人になって初めて、生活に充実感を覚え、自分の将来に夢も描ける生活を送っていた。
ところが、3年あまり務めた物流倉庫が2015年に不景気で突然閉鎖になり、その後勤めた別の物流倉庫も不景気で半年でクビ、再度見つけた別の倉庫では、給料は前職の2800元から2500元に下がってしまった。過去4年、仕事は一貫して空港の物流倉庫だが、3年前の4500元をピークに下がる一方で、5年前の給料だった3000元になかなか届かないでいた。
チョウシュンは、彼に初めて出会った15歳の時からしばらくの間、いつ会っても赤黒く浮腫んだあかぎれだらけの手をしていた。実家にいたころは、上海で働いている母親の代わりに炊事洗濯など家事の一切を、蛇口からお湯の出ない自宅で15歳の彼が担っていたためであり、上海に出てきてからは、花市場、レストラン、美容師と冷たい水を扱う仕事をしていたためだろう。高校生活を謳歌しているはずの年齢の少年が頻繁に、痛む手をさすり顔をしかめる様子を目の当たりにした私は、農民工を取り巻く厳しい現実の象徴として、さらに何年か後、チョウシュンの状況が好転し「あのころはこんな手をして頑張って働いていたね」と笑って振り返ることができるようにとの願いを込めて、チョウシュンに手を撮らせてほしいと頼んだのだった。
手は白くなったけれど
2007年、上海で再び働き始めたあかぎれだらけの16歳のチョウシュンの手(上)と、26歳になった彼の手
今回、雲南の王くんの手の写真を見て、私はチョウシュンのあかぎれの手を久々に思い出した。そしていつの間にかチョウシュンの手に関心が行かなくなっていたことにも気付いた。おそらく彼の生活が軌道に乗り始めた2012年頃から手が荒れないような生活を送ることができるようになっていったのではないかと思う。ただ、先にも書いたとおり、彼の生活水準は下降線をたどっている。彼と最後に会ったのは去年の4月。チョウシュンは今、どんな手をしているのだろうか。
そう思った私は、雲南の王くんの手の写真を見た数日後の朝、チョウシュンのSNSに、「16歳だった君の手だよ。覚えているよね? できれば、今朝の君の手を写真に撮って見せてほしい」と頼んだ。するとすぐに、彼から写真が送られてきた。赤黒く浮腫んでいたあかぎれが痛々しかったのと同じ手とは思えない、細い指に結婚指輪をはめた白い手がそこにはあった。ピーク時に比べれば給料は減ったのだろうが、少なくとも、いつでも手が荒れていた10年前よりは体に優しい環境に身を置けているのだろう。
チョウシュンから送られてきた写真には、靴を履いた足が写っていた。だから私は、「出勤の途中で撮ってくれたの?」と尋ねた。
彼から帰ってきた返事は、予想だにしていないものだった。
「いま働いてないんだ。『腎積水』になって1カ月前に仕事を辞めて、いまは実家で療養してるんだ」
腎積水、腎臓疾患のネフローゼである。
突然の閉鎖で3年務めた物流倉庫の職を失ったチョウシュンは、それを機に下がり始めた収入を少しでも増やそうと、24時間3交替の倉庫ばかりを選んで働いてきたとのことだった。先週は昼勤、今週は前夜勤、来週は夜勤とすべてのシフトをこなさなければならないため体力的にはキツいが、昼勤のみよりも割がいいのだという。いったいいくら収入が増えるのかと尋ねると、「月額にして200元程度」だと、チョウシュンは答えた。日本円にして3400円である。
成人のネフローゼは、過労とストレスが原因になることが多いのだという。これから子供の教育にお金がかかり始めるというのに収入は20代半ばから減り続けているというストレスや、月額200元を余分に稼ぐために酷使した体がついに悲鳴を上げたのだろうか。収入減で食生活も切り詰めざるを得なかったのかもしれない。
一方で、私にはなかなか理解できない農民工の行動が、このチョウシュンのケースでも起きた。それは、実家で療養する夫に付き添うため、チョウシュンの妻も上海の仕事を辞めてしまったことである。実家にはチョウシュンの両親もいるのだし、妻1人だけでも働いて現金を稼ぐべきではないかと思うのだが、こういう時、彼ら農民工はあっさりと仕事を辞めてしまうことが多いのだ。その背景には、農村の実家には田畑があるため、食べるものは何かしらあるから飢えはしないし、ボロ屋だが住む家もある、という現実がある。ただそれをいいことに働かないと、子供に教育を受けさせるだけのお金は稼げない。結果、子供は進学をあきらめ、親と同じ道をたどる。すなわち貧困の連鎖が続いてしまう。ここに、中国の農村とその貧困を解決する問題の難しさがある。
ただチョウシュンが、手があかぎれてしまう生活を脱して、白い手になろうと懸命に働いてきたのは事実だ。雲南の王くんが大人になるころ、農村の貧困の負の連鎖を断ち切る道筋は見えているだろうか。
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