CCTVが放映した習近平国家主席の賀詞。背景の本棚に映る蔵書が注目された(写真:新華社/アフロ)
大晦日の夜10時。みなさんは何をして過ごしただろうか? 2016年まであと2時間のこの時点で、日本のNHKと在京キー局が放映していた番組はというと、NHK総合は紅白、NHK Eテレはクラシック音楽、日テレはダウンタウンのバラエティー、テレ朝がくりいむしちゅーのバラエティー、TBSが魔裟斗の一夜限りの復活を売りにした格闘技、テレ東がボクシングの世界タイトル戦、フジが曙VSサップの格闘技だった。
一方、中国では、NHKに相当する中央電視台(CCTV)が中国時間の午後10時に放映したのは、習近平国家主席が国民に新年の挨拶をする番組だった。「代価を払うことで初めて収穫を得ることができます」という言葉で始めた習氏の賀詞をかいつまんでごくごく簡単に紹介すると、2015年、中国は多くの代価を払い、収穫も多かった1年だったとし、経済成長が世界のトップグループにあること、司法体制改革を継続していること、抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70周年を記念して閲兵式を挙行したなどと指摘。2016年については地球温暖化の防止に積極的に取り組み、苦難や戦火の渦中にある人々に心を寄せ責任ある行動をとっていくなどと述べた。
よく知られるように、中国では新年を春節(旧正月)で祝う。「中国の紅白」とも言われるCCTVの「春節聯歓晩会」も、「除夕」と呼ばれる春節前日の夜に放映される。ただ、国際化が進んだ影響で、近年では元旦も1年の始まりとして認識されていて、今年も三が日は国の定める3連休になった。
中南海の執務室の本棚
ただそれでも、中国人の意識にはなお、本格的な新年は春節、という意識が強い。だから、大晦日の夜に寝ないで新年を迎えようという人はそれほど多くはない。私の周囲にいる20~50代の中国人7人に何をして過ごしたかを聞いてみたところ、全員が「寝ていた」と答えた。習氏の賀詞を観た人も皆無だった。他の中国人もおおむね同じような感じで過ごしたのではないだろうか。
しかし、習氏の賀詞は後日、挨拶の内容とは違うところで注目を集めることになる。それは、習氏が挨拶を行った、北京の中南海にある執務室の本棚に並んでいた蔵書である。中国のネットメディア「新浪新聞」が、賀詞翌日の2016年1月1日付で、CCTVの映像を拡大し、本棚に並んでいた本が何かを、一部ではあるが割り出してリストにして報じたのだ。
国家主席の演説の内容には興味がなかった国民も、彼がどんな本を読んでいるのかには興味があったようで、寝ていて賀詞は観なかったと答えた知人らも、蔵書の一件を伝える新浪の記事は7人中3人が読んでいた。
もちろん、本棚に並んでいるからといって読んでいるとは限らず、「積ん読」の可能性だってあるわけだが、少なくとも、どのようなイメージをアピールしたいのかを読み取ることはできる。2016年も年明け早々、北朝鮮の水爆実験、上海株式市場の暴落と、中国の指導者である習近平氏の手腕が試される出来事が目白押し。「習近平の頭の中身を知りたい」という日本のビジネスパーソンもいることだろう。そこで、新浪新聞がピックアップした蔵書を、簡単な説明をつけて、ここ書き出してみる。
習近平氏の蔵書リスト
【古典文学】
- 「詩経」。周代(紀元前11世紀~紀元前8世紀)に編まれた中国最古の詩編で儒教の基本経典「五経」の1つ。
- 「唐宋八大家散文鑑賞大全集」。2011年刊。韓愈、柳宗元など7世紀から13世紀の唐代・宋代に生きた名文家8人の散文を集めたもの。当時の社会や生活に根ざしたテーマの文章を多く収録している。
- 「宋詞選」。中国の現代詩学者、胡雲翼(1965年没)がまとめた宋代の詩集。
- 「智嚢」。明代(14~17世紀)の文学者、馮夢龍が編纂した。進退窮まった状況で人間が働かせる知恵の事例200あまりを、歴代の史書などから集めた説話集。
- 「中国古典文心」。2014年北京大学出版社刊。20世紀有数の文学者といわれる顧随が、「論語」「文賦」など中国古典を読み解き新たな解釈を加えた話題の書
【近現代文学】
- 「魯迅全集」。「阿Q正伝」「狂人日記」で著名な中国の「国民的」作家。解放後の中国では左派的作家の代表のイメージ。
- 「老舎全集」。代表作に1930年代の北京で最底辺に生きた市民と、彼らの苦悩を作り出す社会構造を批判した「駱駝の祥子」など。文化大革命初期の1966年、紅衛兵の暴行を苦に自殺したものと見られる。
【辞典】
- 「漢語大詞典」。上海辞書出版社刊。全12巻、収録語数37万あまりの中国語辞書の決定版。
- 「中国哲学大辞典」。上海辞書出版社刊。収録項目6700あまりの中国哲学の専門事典。
- 「外国小説鑑賞辞典」。上海辞書出版社刊。
【サイエンス・哲学】(※新浪新聞の記事は「サイエンス」として分類)
- 「デカルト」。17世紀のフランスの哲学者・数学者デカルトの文選。著書に「方法序説」など。
- 「リービッヒ文選」。19世紀のドイツの化学者リービッヒの文選。有機化学や人工肥料の確立に貢献した。
- 「大陸と海洋の起源」。1915年に同書で大陸移動説を主張したドイツの気象学者ヴェーゲナーの著作。
- 「シュレーディンガー講演録」。1926年、波動形式の量子力学「波動力学」を提唱したオーストリアの理論物理学者シュレーディンガーの講演録。
なお、サイエンスの蔵書はいずれも北京大学出版社の「科学素養文庫シリーズ」のもの。
【歴史】
- 「世界歴史」。新浪新聞の記事は著者・出版社を割り出していない。
- 「抗日戦争」。抗日戦争勝利70周年の2015年に人民文学出版社が出版。
- 「歴史の教訓」。抗日戦争勝利70周年の2015年に四川人民出版社から出版。
【国際政治】
- 「中国グローバルマクロ戦略研究」。新浪新聞の記事は著者・出版社を割り出していない。
- 「世界秩序」。キッシンジャーの「World Order」(2014年刊)の中国語訳。
いかがだろうか。日本で伝えられる習氏のイメージと、これらの蔵書が交錯するところはあるだろうか。それとも習氏の印象からはかけ離れているだろうか。
「主席お薦め」便乗キャンペーンがない理由
上海市内の書店。「習主席の賀詞で注目! 必読のX冊」というようなコーナーは皆無。うち1軒の新刊・注目本のコーナーには、日本事情を紹介するので有名な雑誌「知日」が目立つ場所に並んでいた。特集は「富士山 牙白!(ヤバい!)」と「生まれてすみません 太宰治」
目ざとい書店が、ここにリストアップされた本をかき集めて、「習主席の賀詞で注目! 必読のX冊」というようなコーナーを設けているのではと思い、上海で品揃えが充実している書店を3軒、回ってみた。ところが、そのようなキャンペーンをやっている書店は皆無。リストにある本は大半が棚に埋もれていて、探すのも一苦労という有様だった。
うち、学術書・教養書の品揃えでは上海で一番だと私が思っている書店では、入り口すぐの場所にある新刊・注目本のコーナーで最も目立っていたのは、日本事情を紹介することで有名な北京の雑誌「知日」で、表紙には巻頭特集のテーマ「富士山 牙白!(ヤバい!)」と「生而為人、我很抱歉 太宰治」(生まれて、すみません 太宰治)の文字が躍っていた。
中国の書店では、一時期、装丁を豪華にして1セット30万元、40万元(1元=約18円)といった高額の値をつけた中国古典シリーズなどがよく店頭に並んでいた。当時、誰が買うのかと思って書店員に尋ねたら、事務所や自宅のリビングの立派な本棚に並べる本を何にしようか困っている企業の社長が買っていくと話していた。こうした豪華本も、最近ではほとんど見かけなくなったが、ぜいたくを禁止し、腐敗幹部の摘発を進める習氏の政策が影響しているのは間違いない。習氏が国のトップに就任する以前の中国であれば、「あなたの社長室に国家主席の風格を」などと銘打って、主席の執務室に並ぶ本をまとめて高額で売る書店もあったかもしれない。
上海最大の書店の政治書コーナーで、ようやく目立つところに置かれているのを見つけたキッシンジャー著「世界秩序」
毛沢東も本を愛した
さて、中国の指導者と蔵書というと、歴代の指導者で読書家で知られていたのは毛沢東。側近らの手記には、中南海にあった自宅のベッドの半分には本が置かれてあり、空いた時間は常に読書していたなどとの証言がある。読書する毛沢東の様子を知りたければ、一時期、毛沢東の蔵書を管理していた人物が書いたその名も「毛沢東的読書生活」という本が北京の三聯書店から出ている。線装本がぎっしり詰まった書棚や、本の余白に感想や疑問を書き込んだ毛沢東の自筆を写した写真もふんだんに掲載されいて興味深い。
1986年、当時の最高実力者、鄧小平の筆による題字で初版が出版されてから今年で30年。2009年に新装版が出るなど、ロングセラーになっている。中国の庶民も指導者の本棚の中身に関心を持っていることの証左だろう。サイマル出版会から日本語版も出ている。現在品切れだが、アマゾン等で手軽に古書を手に入れることができるようだ。
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