台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業は2017年1月10日、2016年の連結売上高が4兆3569億台湾ドル(約15兆7600億円)で前年比2.8%減の減収だったことを明らかにした。同社の減収は1991年の上場以来、初めてのことである。
昨年2月のシャープ買収で日本での注目度が格段に高まった鴻海だが、その後も12月6日には米大統領就任が決まったドナルド・トランプ氏に500億米ドル(約5兆8000億円)の投資を約束したソフトバンクグループに追随する形で70億米ドル(約8100億円)の投資と5万人の雇用機会創出を計画していることが明らかになったり、中国広東省広州に日本円で1兆円(610億元)の液晶パネル工場建設をぶち上げたりと、年末まで派手な動きが続いた。
上場以来の初の減収が示すiPhone依存の危うさ
ただ一方で上場25年で初めての減収は、売上高の5割を占め同社の屋台骨を支える米アップルのスマートフォン(スマホ)iPhoneの販売動向が、鴻海の業績を大きく左右するという事実を改めて突きつけることになった。鴻海と同じ台湾のEMS(電子機器受託製造サービス)では、4.7インチのiPhone 7を中心に製造を受注する和碩聯合科技(ペガトロン)が、2016年の連結売上高で前年比4.5%減の1兆1500億台湾ドル(約4兆1800億円)と、やはり2010年の上場以来初の減収となった。中でも台湾のアナリストの多くが1000億台湾ドル(約3600億円)の大台は割らないと見込んでいた2016年12月は、ふたを開けてみれば前月比33.2%減、前年同月比27.4%減の840億台湾ドル(約3056億円)と予想を大きく下回った。この2社の業績から台湾市場では、不振が言われるiPhone販売は、予想よりもさらに悪いのではないかとの懸念が広がっている。
「日本経済新聞」は2017年1月7日付で、鴻海とシャープがiPhoneへの供給を目指し、中国河南省鄭州に有機ELパネルの製造工場建設の検討に入ったと報じた。シャープはこれまで有機ELの試作ラインを大阪堺市に置くとしていた他、量産ラインも日本国内を想定していると見られていたが、日経新聞は、地元政府の支援が見込める中国に置くことにしたと伝えている。鄭州は鴻海がiPhone製造の主力工場を置く土地で、ここに有機ELパネル製造工場を設ければ輸送コストを抑えることができ受注に有利との思惑が働いているようだ。
ただ、鴻海の地元台湾では、シャープ、鴻海とも有機ELパネルの製造経験がないことから、アップルがiPhone向けを発注することは当面ないとする見方や、iPhoneの製造委託や部材発注を鴻海に集中するのをアップルが避けるのではないかとの観測もある。
初の減収でiPhone依存リスクが鮮明になる一方で、iPhone囲い込みを強化する。iPhoneを中国で造り続ければ米国への輸入に高額の関税を課すと吠えるトランプ砲に雇用と投資をちらつかせながら、中国への投資拡大を決める。鴻海を一代で15兆円企業に育て上げた創業経営者テリー・ゴウ(郭台銘)会長が、したたかさを発揮して両睨みの戦略を用いているようにも思えるが、一方で、iPhoneの不振と自社の減収を経てもなお投資を拡大し続ける姿は、大量生産によるスケールメリットでコストを下げるという経営手法からの脱却を図りかね迷走しているようにも見える。
社内報で紹介された鴻海会長の愛読書
ゴウ氏は鴻海、そしてシャープをどこに導こうとしているのか。それを知る手がかりになりそうなものを見つけた。ゴウ氏の愛読書である。
「鴻橋」という名前の社内報がある。鴻海は製造拠点の大半を先に挙げた河南省鄭州をはじめとする中国に置き、同国内に100万人超の従業員を抱えている。鴻橋はこれら中国の従業員向けに中国の製造子会社フォックスコン(富士康)が出している社内報だ。中国のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)最大手Wechat(微信)で配信しており、社員以外にも公開している。この社内報がちょうど1年前の2016年1月6日付で、「成功したければこれを読め! 郭台銘総裁の愛読書10冊」と題した記事を配信している。
記事はまず、「郭総裁が超多忙な日々を過ごしていることは、地球の人間なら誰もが知っている。しかし、総裁に特別お気に入りの趣味があることを知る人は少ない。それは読書だ」とし、ゴウ氏が無類の読書家だと紹介。その上で、愛読書の中でも座右の書としてゴウ氏が古典と認識している10冊のリストを示している。すべて作者の欄には欧米人の名前が並んでおり、中国語訳した上で中国で出版されたものが紹介されている。
欧米で話題になったものが多く、10冊のうち9冊は邦訳され日本でも出版されているので、日経ビジネスオンライン読者のビジネスパーソンなら読んだことがある本も少なくないはず。日本経済の今後にも少なからぬ影響を及ぼすだろうテリー・ゴウという経営者を知る貴重な資料として、社内報が示した本の内容の説明の一部とともに紹介してみよう。
(1)『Industry4.0』
(邦訳なし)
(中国語題・工業4.0)
Ulrich Sendler著
ドイツ南部バイエルン州フェルダッフィングでインダストリー4.0を提唱する作者が、中欧が2030年の時点でいかにしてグローバルな工業基地としての地位を保ちうるかを科学と経済の角度から検討した書。
(2)『ワーク・ルールズ!―君の生き方とリーダーシップを変える(東洋経済新報社)』
(原題・Work Rules !)
(中国語題・Google超級用人学)
ラズロ・ボック著
クリエイティビティを発揮し続ける社員を生み出す、革新を続ける企業のルール。
(3)『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える(講談社)』
(原題・Big Data; A Revolution That Will transform How We Live, Work)
(中国語題・大数据時代)
ビクター・マイヤー・ショーンベルガー、ケネス・クキエ著
ハーバード、オックスフォード、エール等世界の有名校で教鞭を執った第一人者が説くビッグデータの時代と商用化。
(4)『ビジョナリー・カンパニー4 自分の意志で偉大になる(日経BP社)』
(原題・ Great by Choice: Uncertainty, Chaos, and Luck--Why Some Thrive Despite Them All)
(中国語題・十倍勝、絶不単靠運気)
ジム・コリンズ、モートン・ハンセン著
著者の研究チームが9年の歳月を費やし、2万400社の米国企業の中から、不確実かつ混沌とした時代に、他の企業よりも10倍以上の成長を遂げている「10X」の企業7社を選び出し、成功の秘密を解き明かす。「10X」から中国語題の「十倍勝」がつけられた。
(5)『ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則(日経BP社)』
(原題・Good to Great: Why Some Companies Make the Leap...And Others Don’t)
(中国語題・従A到A+)
ジム・コリンズ著
社内報では、米誌「ビジネスウィーク」、米誌「ハーバードビジネスレビュー」等で2001年の賞を総なめにしたロングセラー、とよく売れた評価の高い本だとだけ説明。そこで邦訳を出版した日経BP社の説明を抜粋すると、「一見地味な11社を選び、GEやインテルを上回る実績を残した要因をリーダーシップ、人材戦略、企業文化等から分析、良好な企業が偉大な企業へと変貌する必要条件を示す」とある。
(6)『リエンジニアリング革命―企業を根本から変える業務革新 (日経ビジネス人文庫)』
(原題・Reengineering the Corporation: A Manifesto for Business Revolution)
(中国語題・企業再造)
マイケル・ハマー 、ジェイムズ チャンピー著
企業改革史のマイルストーン。出版初年に170万部突破。
(7)『最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か(徳間書店)』
(原題・The Fifth Discipline: The art and practice of the learning organization)
(中国語題・第5項修煉)
ピーター・M.センゲ著
組織管理の決定版の誉れ高い名著。
(8)『フラット化する世界 普及版・上・中・下(日本経済新聞社)』
(原題・The World Is Flat: A Brief History of the Twenty-first Century)
(中国語題・世界是平的:21世紀簡史)
トーマス・フリードマン著
21世紀初頭におけるグローバル化の過程を分析した書。
(9)『ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則(日経BP社)』
(原題・Built to Last: Successful Habits of Visionary Companies)
(中国語題・基業長青)
ジム・コリンズ、ジェリー・I.ポラス著
「フォーブス」のビジネス書ロングセラー20冊の1冊、と売れたことのみ記載。邦訳出版の日経BP社は、「カリスマ的指導者の存在等々、これまでの経営神話を次々と看破し、時代を超え、際立った存在であり続ける企業『ビジョナリー・カンパニー』の源泉を解き明かした」と説明する。
リストアップされた「存在しない本」
いかがだろうか。ジム・コリンズの「ビジョナリー・カンパニー」シリーズが3冊入っていたり、インダストリー4.0、ビックデータ、フラット化など、その時々のトレンドをまめに拾い、組織管理の造詣を深めるのも怠らなかったり等、ビジネスパーソン必読のビジネス書をオーソドックスに読んでいるというところだろうか。ただ、グローバル化のもたらす軋みが世界中で噴出している今、大量生産、大量消費を前提にビジネスモデルを構築してきた代表とも言える鴻海トップのゴウ氏は、これらの書物が示した世界の、さらにその先をどのように見通しているのかについては、この愛読リストからは分からない。是非、アップデートしたリストを聞いてみたいものである。
さて、既にお気付きのことと思うが、愛読書10冊としたのに9冊しか挙げていないのにはワケがある。
今回紹介した本は、社内報に掲載されていた中国語題と、中国語に翻訳された欧米人の著者名、さらに、各書の表紙の画像からアルファベットの原題が確認できるものについてはそれをもとに、まず原題を調べ、さらに邦訳の有無を調べるという手順を踏んだ。この手順で9冊については確認できたのだが、どうしても原書の存在が確認できないものが1冊出た。
社内報に紹介されていたのは、中国語題が「執行力」、著者が「保羅・托馬斯」と「大衛・伯爾尼」、原題らしきものとして「No Executive Ability, No Competitive Advantages」とある。著者名は恐らく「ポール・トーマス」と「デビッド・バーン」だろうと目星をつけた。さらに表紙の画像には、日本でいう帯の位置に「ビジネスウィーク」「フォーチュン」「ニューヨークタイムズ」「ウォールストリートジャーナル」「USAトゥデイ」で推薦されたと書かれていた。
9冊については、同等の情報を手がかりにグーグルで検索し、邦訳の出ていない「Industry4.0」を含め、どれもものの5分で原書が確認ができた。だが、「執行力」については、全く原書にたどり着かない。ところが探し始めて30分が経過しようとしたころ、私と同じ経験をしている人の書いた記事に行き当たった。中国共産党中央の機関紙「人民日報」の唐勇さんという米国特派員の書いた記事である。
ニセモノ読んで大目玉?
2005年2月24日ワシントン電として、米国の有名紙誌がこぞって推薦しているという「執行力」の原書をグーグルで半日を費やして検索してみたが全くヒットしない。そこで、著者が教鞭を執っているというハーバードビジネススクールとデューク大学ビジネススクールに確認したところ、いずれも「そのような人物は存在しない」との回答だった。さらに、中国の版元である長安出版社に翻訳出版を認めたと本に記載されているエージェントに連絡したところ、「『執行力』という本の翻訳出版を認めた事実はありません」との返事。そこで唐勇記者は、「執行力」の原書はそもそも存在しないと結論づけている。
さらに調べてみると、唐勇記者の記事からさかのぼること2年前の2003年、中国国営新華社通信が「執行力」の問題を取り上げているのを見つけた。同年7月29日付で、中国でその週に発売されネットの新刊書ランキングでトップになった「執行力」という本は、その前年の2002年に米国で出版され、その後、中国と台湾で中国語訳が出ていずれもベストセラーとなった「Execution: The Discipline of Getting Things Done」という本に便乗したニセモノだ、というのである。
新華社によると台湾版の中国語題は「執行力」、中国機械出版社という版元が出した中国版の題名は「執行」。鴻海社内報制作のスタッフは、恐らくゴウ会長が読んだであろう台湾版の題名に引きずられ、原書が存在しない長安出版社版の便乗商品を紹介してしまった、というところなのだろう。
改めて紹介すると、10冊目のこの本は、日経新聞から邦訳も出ている。
(10)『経営は「実行」―明日から結果を出すための鉄則(日本経済新聞社)』
(原題・Execution: The Discipline of Getting Things Done)
(中国語題・台湾版「執行力」、中国版「執行」)
ラリー・ボシディ、ラム・チャラン著
ちなみに、便乗版の「執行力」、ネットでは今でもなお販売されているようで、本家顔負けのロングセラー。部外者なら間違って買ってしまって読んでも笑い話で済むが、シャープや鴻海の社員であればせっかく経営思想を学ぼうと読んだはいいが、トップの前でトンチンカンな感想を言ってしまい、ゴウ氏からお目玉を食らうなんてことになりかねない。くれぐれもご注意あれ。
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