全5189文字

 ただ、違法建築の取り壊しが本当の理由だと信じている中国人は誰もいなかった。「本当の理由は、農民工を上海から追い出すためだというのだ」。

 取り壊された店舗を経営していたのは、地方の農村から上海に出てきて幾ばくかのお金を貯め店を構えたという農民工が多かった。上海人の大家が、違法建築だからと相場より安く貸し出し、そこを賃借してタクシー運転手相手の安い定食屋やB級グルメの飲食店、雑貨屋等を開いていたというわけだ。

 ところが近年、中国経済の減速が鮮明になってくると、上海をはじめとする中国の大都市に、農民工を抱えておく余裕がなくなってきた。そこで当局は、違法建築を名目に農民工が経営していた店を潰し、上海から追い出そうとし始めたのだった。

農民工追い出しで減った配送の職

 ゼンカイさんから上海が寂しくなったという話を聞いたのは、農民工の追い出しが始まってから1年半後のことだった。

 追い出された農民工はその後どうしたのかと尋ねると、ゼンカイさんは、「オレの友達、親族、知り合い、知り合いのまた知り合い、の範囲で言うと、故郷に帰ったヤツもいる。ただ、クニに帰ったって稼げないのは相変わらずだ。だから、職を変えたヤツが多いよ。ビルやマンションの『保安』(警備員)をしたり清掃係になったり。上海で電動バイクで宅配便やケータリングのドライバーになったのも多いよ」と言った。

 中国で、スマートフォン(スマホ)のアプリを使ったケータリングと電子決済が急速に普及していることは日本でも繰り返し伝えられている。そして、年最大のネット通販セール「独身の日」に、中国のEC大手アリババ(阿里巴巴)が、楽天の年間EC流通総額を超える2135億元(1元=約16円)をたった1日で売り上げてしまうほど、中国でECが普及し、それに伴い宅配便が成長していることも、日本で度々ニュースになる。識者の中には、建築現場や電子機器等の製造工場に代わり、ケータリングや宅配便が農民工の受け皿になると指摘する向きもある。

 ただ、ゼンカイさんは、「電動バイクの配送の仕事は減っている。オレの知り合いでも辞めたヤツが結構いるよ」と言う。「だって、ケータリングを支えていたのは、ファストフードとか、B級グルメとか、タピオカミルクティーの店で、それをやっていたのは、当局が壊しちゃった農民工の店だよ。それを根こそぎなくしちゃったんだから、ケータリングの仕事だって減るじゃないか」

 そして、町が暗く、寂しくなったのも、これら違法建築の店がなくなり、農民工の人口が減ったからだ、とゼンカイさんは分析する。

 一方で、米中貿易戦争についてゼンカイさんは、去年の中秋節の時点で、「オレの生活に影響があるという実感は、今のところないね」と話していた。そしてその3カ月後、昨年12月に再会したときもそれは同じだった。

 北京五輪や上海万博で中国経済が好調だった頃、ゼンカイさんはひと月に8000~1万元程度稼げることもあったという。ただ、中国でPM2.5等環境汚染が進み、その元凶の1つとしてゼンカイさんが回収する主力製品だったペットボトルをはじめとする再生資源の回収価格が暴落した2014年あたりを機に、彼の収入も激減。2016年にゼンカイさん、妻、長男の家族3人合わせると月収は1万元前後あったが、2017年には1万元に届かなくなり、それが2018年も続いていた。

 だから、ゼンカイさんが、「米中貿易戦争はオレの生活にいまのところ影響がない」と言うのは、米中対立によって収入が減るような事態は起きていないということであり、ピーク時から激減した状況が続いていることに変わりがあるわけではないのだった。