
1990年代の末、生まれ故郷の河南省の農村から上海に出てきて、それから足かけ30年あまり、廃品回収をして生きてきた農民工のゼンカイさん(44歳)が、上海の「異変」に気付いたのは、2018年の夏の終わりごろだった。
かつてに比べ人通りが少なくなり、夜も8時ごろになると町が真っ暗になり閑散としてしまう、というのだ。
この話を彼に聞いたのは2018年9月末。ちょうど、中国では春節(旧正月)に匹敵する年中行事として大切にされている中秋節の3連休のことだった。
「だって、こんなに寂しい中秋節って、記憶にあるか?」
夕食を共にする上海の都心部、静安区にあるレストランに向かってゼンカイさんと並んで歩きながらそう言われ、私は改めて町を眺めてみた。確かに、まだ午後8時前だというのに、町は灯りが少なくて薄暗く、人通りもまばらだった。
中国で中秋節は家族のイベントで、自宅で家族と食事を共にすることが多い。それでも、自宅でなくレストランに集まる家族だって少なくないし、友人知人と連れだって街に繰り出す若い世代もいる。そして何より、日本のお中元、お歳暮のように、中国では日頃世話になっている人に贈り物をするための大切な行事、それが中秋節だった。
だからこれまでの上海であれば、中秋節の夜と言えば、これから食事を共にする知人に渡す贈り物を抱えてレストランに向かう人たちなどが行き交い、休日ならではの華やぎが町に溢れていた。ところがその日の上海は、人の気持ちを浮き立たせるようなものがなく、暗くひっそりとしていた。
上海から灯りが消えた理由
上海、そして中国に活気がなくなった、町が暗くなった、と指摘するのは、ゼンカイさんだけではなかった。昨年秋以降、中国経済や中国そのものの先行きを不安視する記事が、日本のメディアでも目立つようになった。それは、米国が中国製品に対して追加関税を発動、中国もこれに報復し、米中貿易戦争が激化した時期と重なる。制裁の第1弾は2018年7月、翌8月には第2弾、そして中秋節連休が終わるのに合わせるかのように、米中は第3弾を発動している。
私自身も、上海の活気のなさが、米中貿易戦争の影響が出始めたことによるものなのではないか、と思った。
ところが、ゼンカイさんの見立ては違った。
貿易戦争の影響が出始めているのかな? と尋ねる私に、ゼンカイさんは、「アメリカとの貿易戦争? 違うだろ。単に町から農民工がいなくなり、農民工が経営していた店が取り壊されてなくなったからだろ」と言った。
ゼンカイさんの言う農民工の追い出しは、2017年の春節明け早々、上海の広い範囲で突如として始まり、その後、猛烈な勢いで拡大した。その勢いは、前の週まで数十軒の食堂が並びB級グルメを求める人でごった返していたレストラン街が、翌週訪れてみると、店舗がブルドーザーで根こそぎ地面から引きはがされ、跡形もなくなる、というような有様だった。
当局は、取り壊しの理由を、違法建築の一掃だと説明していた。確かに取り壊されているのは、道路に面して並ぶ住宅団地の一階部分を、本来公道であるはずのエリアに違法に張り出して増築し、飲食店や商店を経営していたところが多いようだった。
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