経営理念はとても大切です。「ミッション(使命)」「ビジョン(構想)」「バリュー(価値観)」の三つを組み合わせていることが多いです。これらを経営トップのみならず、従業員全員が常に認識し、行動していくわけです。
ただ、企業を大きく改革するときに理念だけでは物足りない、と鷲沢社長が言いだします。ちょっと及び腰の竹虎常務とのやり取りをお読みください。
●竹虎常務:「社長、2017年になってから、かなりカリカリされていませんか。様子がおかしいと社内で噂になっております」
○鷲沢社長:「そうですか。それはいけませんね。社長として当社に赴任して3カ月。なかなか思うように経営や組織を変えることができず、忸怩たる思いです」
●竹虎常務:「そう簡単には変わりませんよ」
○鷲沢社長:「わかっています。銀行にいたとき、いろいろな会社を見てきましたから。ただ、経営や組織というものはそう簡単に変えられないとはいえ、いくらなんでも動きが遅すぎないか、と思うときがあります」
●竹虎常務:「どういうときですか」
○鷲沢社長:「年初に課長会議をのぞきました。始まる時間になっても来ていない課長が2人。昨年出された宿題をやってこない課長が3人。ああだこうだと2時間近く話し合って会議は終わりましたが、出口のないトンネルにいるようでした」
●竹虎常務:「会議の進め方が下手なのでしょう」
○鷲沢社長:「やり方の問題ではない。あり方の問題です。というより、あんな会議なら不要です。常務は万年筆を使いますか」
●竹虎常務:「あ、いえ」
○鷲沢社長:「使わないならインクの補充や手入れの方法は知らなくていい。それと同じですよ。要らない会議のやり方を工夫しても無意味です」
●竹虎常務:「なるほど。確かに要らないものが我が社に増えた気がします。それを放置したまま、これからどうすればいいかを考えても仕方がないですね」
○鷲沢社長:「あり方です、あり方。当社の存在意義が問われています」
●竹虎常務:「経営理念の話ですか」
○鷲沢社長:「当社の理念を何も見ないで言えますか」
●竹虎常務:「ええっと……それは……」
「生ぬるい!私の方針など誰も聞きません」
○鷲沢社長:「経営や組織を改革するには、あり方、存在意義、理念から始めないと。そうだ、そもそも私が忘れていたのかもしれない……先代の社長が亡くなる直前、私を後継社長に指名したと聞いて、すぐ調べたのは当社の経営理念です」
●竹虎常務:「高品質の広告を通じて、で始まる言葉ですね」
○鷲沢社長:「『高品質の広告を通じて、企業の課題解決を促し、社会に貢献する』となっています。当社の存在意義であり、『あり方』です。片仮名で言えばミッション」
●竹虎常務:「『やり方』ではないですね、確かに。行動規範は7項目あります。こちらもすべて『あり方』ですね。行動規範をバリューとすると、ビジョンは……」
○鷲沢社長:「先代社長が遺した中期経営計画でしょう。3年後に海外拠点を増やし、売り上げを1.5倍に、利益を2倍にしなければなりません」
●竹虎常務:「はい。ミッション、ビジョン、バリュー、一通りありますね」
○鷲沢社長:「あることはある。ただ、単なるお題目になっている気がするのです。社員全員の腹に落ちていないというか」
●竹虎常務:「理念と規範は創業時に先代が書いたままですからね。規範を読むと言葉が少々古めかしいですし」
○鷲沢社長:「古くてもかまわないが刺激が足りない。改革を進めるにはもっとパンチの効いたフレーズでないと」
●竹虎常務:「パンチの効いたって……」
○鷲沢社長:「先代社長が書いた経営理念は変えられません。今後もリスペクトしないと。行動規範もよく考えられています。小手先の直しを入れるくらいならそのままでいい」
●竹虎常務:「社長方針とか社長メッセージを出されたらいかがでしょうか」
○鷲沢社長:「生ぬるい!私の方針など誰も聞きませんよ」
●竹虎常務:「社長、そんなことはありません……」
○鷲沢社長:「みんなが眠れなくなるようなものを打ち出せないか」
●竹虎常務:「ええっ」
○鷲沢社長:「方針やメッセージでは弱い。戦略では堅いし、他人事になる。使命はどうかな。ミッションだから経営理念と同じか。目が醒める言葉は……」
●竹虎常務:「……大志とか」
○鷲沢社長:「いいじゃないか、なかなか。ただ、青少年向けかもしれない……」
●竹虎常務:「……」
「野望だ、いや、野心だ!」
○鷲沢社長:「野望だ、いや、野心だ!」
●竹虎常務:「や、野心?」
○鷲沢社長:「経営野心と名付けよう。心に灯をともす経営野心」
●竹虎常務:「すごい表現ですね。ただ、人に刃向かうとか、分不相応な望みを抱くとか、そういう意味ですから、あまり良くない気が……」
○鷲沢社長:「いいじゃないか。社長や上司がつまらないことを言ったら刃向かってもらいたい。分相応とか言っている場合ではないだろう、今の当社は」
●竹虎常務:「それはそうですが……経営野心はどういうものになるのですか」
○鷲沢社長:「日本最大の広告代理店になる。いや、世界一の広告会社になるとか」
●竹虎常務:「いくらなんでも日本最大とか世界一とか……かえって信じられません。残業を減らせないか、女性管理者を少しでも増やせないか、そういうことで悩んでいるのに」
○鷲沢社長:「何を言う!そんなことでは若い人たちに夢を見せられない。希望を持たせることが社長や経営陣の務めです」
●竹虎常務:「えええ……」
○鷲沢社長:「広告という言葉にこだわっている時代でもない。広告だけではなく、マーケティングやデジタルコミュニケーションの分野にも事業を広げていきたい」
●竹虎常務:「ということは……メディアですかね」
○鷲沢社長:「メディア!」
●竹虎常務:「えっ」
○鷲沢社長:「そうだ! 世界一のメディア会社になる。これは凄い」
●竹虎常務:「ちょ、ちょっと待ってください、社長」
○鷲沢社長:「私が打ち出す当社の経営野心は『世界一のメディア会社になる』だ」
●竹虎常務:「……」
○鷲沢社長:「この経営野心は経営理念につながる。世界一のメディア会社になれば、企業のさまざまな課題を解決でき、社会に貢献できるじゃないか。どうです、常務」
●竹虎常務:「眠れなくなるフレーズであることは確かです」
恥ずかしくなるフレーズを照れることなく言い放つ
経営理念を正しく社内に浸透させ、定着させることが社長の務めです。ただし、それは平時のことで、有事のときは理念だけではなく、カンフル剤として社長が発するストロング系のメッセージがあっていいと私は思います。
それが「経営野心」です。大袈裟でも荒唐無稽でもかまいません。それを聞いた若い社員たちが「よし!」と思ってくれたらいいのです。
「このぐらいが当社の身の丈に合っている」などと社長が考えるようでは、社員はついてきてくれません。みんながドキドキする、少々恥ずかしくなるフレーズを照れることなく言い放つ。それもトップの務めです。
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