これは現時点では音声認識だ。しかし、将来には、ウェアラブルデバイスと連携し、健康状態を確実に察し、個人に最適な広告を提示してくれるだろう。発汗の成分を分析し、ときにはスポーツ飲料を勧めるかもしれない。あるいは、ときにはビタミンCの摂取をすすめるサプリメントかもしれない。

 ジョージ・オーウェルの傑作小説『1984年』では、高度に管理された全体主義社会における市民の悲哀を描いた。しかし、市民を管理しようとする主体は政府ではないらしい。テクノロジーを活用した企業群だ。

 身近なマイクロ最適宣伝広告を志す企業として仏ルノーがある。彼らはどんなクルマを、誰が買っているか、というデータを持っている。そして、そのデータは、冷酷なほど消費者の特性を示している。どこに住んで、どのような職業で、どれくらいの収入があって、家族は何人で、そしてどんな趣味嗜好があるか。

 それは、将来の購買訴求にも活用ができる。ルノーはこの事実を使って、新たな宣伝広告の試行に乗り出した。考えれば単純なことだ。屋外広告にセンサーをつけ、車種を認識し、そのドライバーごとに宣伝広告を変化させるのだ。これまでマスの広告は最大公約数を狙っていた。しかし、その宣伝が常に視聴者を訴求するとは限らなかった。

 IT技術の進化は一人ひとりを裸にすることに成功しつつある。デジタルは、個人を情報として扱い、デジタルによって個人を操ろうとする。それが倫理的に良いか悪いかの判断を置いたまま。人はデジタルに飲み込まれ、そしてデジタル処理され、対象として扱われる。

個人をターゲットにした経験経済

 人間が創ったデジタルが、むしろ人間を飲み込む。これはもはやジョークではない。米Wearable Experimentsは、「つながる選手服」を発表した。アメリカンフットボールの球場に出かけてみよう。そのとき、観戦者と選手の境界はもはや曖昧だ。この「つながる選手服」を着た観戦者は、選手のウェアから飛んでくる情報と一体化する。選手の熱、選手の鼓動、選手の緊張、そして選手の愉悦まで。データ連携した「つながる選手服」は、観客にそれらを再現して伝える。

 これはもはや観戦者という体験ではない。スポーツという体験が誰にでも共有できる新たな娯楽を生み出しているのだ。そして、新たな技術は、さらなる購買へと駆り立てる。新たな経験ができるウェアラブルデバイスは、もちろんその商品としても価値がある。身体を躍動させられた個人は、さらに経験を求めて試合に出向く。

 かつて、モノから経験へと経済が動いているといわれた。以前の意味は、エンターテイメントや旅行などの当事者性を指した。しかし、今の経験の意味は、これまで想像もしなかった、他の個人に乗り移って異次元を「体現」することを示すようになった。これは大きなパラダイムの転換だ。

 挙句の果てに企業は、脳神経を直接プログラミングしようとしている。「Halo Sport System」は頭脳を電気で刺激することによって脳回路を活性化するという。脳を直接的に操作することで筋力などのアップが可能だというのだ。これはSFではない。藤子・F・不二雄さんがいったように「少し不思議(SF)」でもない。もはや、「すごく不安」なほど、身体にデジタル技術が入り込んでいる。

 この流れを止めることはできない。あとは、個人的に近寄らないか、あるいはビジネスとして積極的に関わるかだ。