私が起業したとき、宣伝広告を工夫せねばならないと考えていた。小さな企業など、誰も知らない。知らない企業から購買などしない。何よりも知名度を高めなければ。そのとき、最初に勧められたのは懸賞つきの広告だった。「賞品につられて多くの人がやってきます」。仕組みは、賞品を提供する代わりに、メールアドレスを登録させるものだ。
実際、20万円ほどかけてやってみたが、成果は芳しくなかった。当たり前だ。賞品がほしくてメールアドレスを登録した人に、真面目なビジネスメールを送っても反応するはずがない。彼らにとっても私たちからのメールは迷惑でしかない。しかしそのとき、当たるかもわからない賞品ほしさに個人情報を差し出す人たちの存在に私は驚いた。
このYouTube動画を見てみよう。これは「Data to Go」というタイトルの動画だ。コミカルに、しかし個人情報漏洩の怖さを教えてくれる。
舞台はコーヒーショップだ。立て札に「Like us on Facebook for a free coffee」とある。つまり、フェイスブックで「いいね」を押してくれたら無料コーヒーを提供する、というキャンペーンだ。
海外では待ち時間に名前を聞かれるケースが多い。例えばサカグチと答えると、コーヒーの完成とともに名前で呼んでくれる。個人情報を出すといっても名前だけだ。この動画では、フェイスブックで「いいね」を押した人をただちに分析し、SNSから個人を特定する。そして、通常であれば、たわいもない文字の羅列が書かれているコーヒーカップには、そのSNS情報から明らかになったさまざまな個人情報がぎっしりと書かれているのだ!
お客は無料コーヒーを受け取った代償として、失笑するしかないほど、自分のプライバシーが漏れていると知る。これまで日本で個人情報が漏れると、1件あたりの賠償は最低で500円程度だが、なるほど、コーヒー1杯ほどの金額が個人情報の代償らしい。
ダダ漏れ情報と宣伝広告の将来
ところで、こんな個人情報のダダ漏れはどうだろうか。独Boehringer Ingelheimが実験している「Cold Detector」を見てみよう。文字通り“風邪発見器”とでも呼んでおこう。これはインタラクティブな宣伝板だ。何がインタラクティブかというと、通行人の咳を自動察知してくれるのだ。宣伝板の近くにいる通行人が風邪の咳払いをすると、すぐさま宣伝板は気を遣ってくれる。さらには、風邪薬まで推薦してくれるオマケつきだ。
これまでマーケティングでは、「予防策」よりも「解決策」を提示したほうが売れるといわれてきた。風邪をひかないようにする予防商品よりも、風邪をひいてしまった人に治療薬を提示したほうが訴求するに決まっている。しかしどうやって? なるほど風邪をひいている人は自ら、咳という音を発する。それがテクノロジーと合わさって新たな宣伝の場を生んだ。
これは現時点では音声認識だ。しかし、将来には、ウェアラブルデバイスと連携し、健康状態を確実に察し、個人に最適な広告を提示してくれるだろう。発汗の成分を分析し、ときにはスポーツ飲料を勧めるかもしれない。あるいは、ときにはビタミンCの摂取をすすめるサプリメントかもしれない。
ジョージ・オーウェルの傑作小説『1984年』では、高度に管理された全体主義社会における市民の悲哀を描いた。しかし、市民を管理しようとする主体は政府ではないらしい。テクノロジーを活用した企業群だ。
身近なマイクロ最適宣伝広告を志す企業として仏ルノーがある。彼らはどんなクルマを、誰が買っているか、というデータを持っている。そして、そのデータは、冷酷なほど消費者の特性を示している。どこに住んで、どのような職業で、どれくらいの収入があって、家族は何人で、そしてどんな趣味嗜好があるか。
それは、将来の購買訴求にも活用ができる。ルノーはこの事実を使って、新たな宣伝広告の試行に乗り出した。考えれば単純なことだ。屋外広告にセンサーをつけ、車種を認識し、そのドライバーごとに宣伝広告を変化させるのだ。これまでマスの広告は最大公約数を狙っていた。しかし、その宣伝が常に視聴者を訴求するとは限らなかった。
IT技術の進化は一人ひとりを裸にすることに成功しつつある。デジタルは、個人を情報として扱い、デジタルによって個人を操ろうとする。それが倫理的に良いか悪いかの判断を置いたまま。人はデジタルに飲み込まれ、そしてデジタル処理され、対象として扱われる。
個人をターゲットにした経験経済
人間が創ったデジタルが、むしろ人間を飲み込む。これはもはやジョークではない。米Wearable Experimentsは、「つながる選手服」を発表した。アメリカンフットボールの球場に出かけてみよう。そのとき、観戦者と選手の境界はもはや曖昧だ。この「つながる選手服」を着た観戦者は、選手のウェアから飛んでくる情報と一体化する。選手の熱、選手の鼓動、選手の緊張、そして選手の愉悦まで。データ連携した「つながる選手服」は、観客にそれらを再現して伝える。
これはもはや観戦者という体験ではない。スポーツという体験が誰にでも共有できる新たな娯楽を生み出しているのだ。そして、新たな技術は、さらなる購買へと駆り立てる。新たな経験ができるウェアラブルデバイスは、もちろんその商品としても価値がある。身体を躍動させられた個人は、さらに経験を求めて試合に出向く。
かつて、モノから経験へと経済が動いているといわれた。以前の意味は、エンターテイメントや旅行などの当事者性を指した。しかし、今の経験の意味は、これまで想像もしなかった、他の個人に乗り移って異次元を「体現」することを示すようになった。これは大きなパラダイムの転換だ。
挙句の果てに企業は、脳神経を直接プログラミングしようとしている。「Halo Sport System」は頭脳を電気で刺激することによって脳回路を活性化するという。脳を直接的に操作することで筋力などのアップが可能だというのだ。これはSFではない。藤子・F・不二雄さんがいったように「少し不思議(SF)」でもない。もはや、「すごく不安」なほど、身体にデジタル技術が入り込んでいる。
この流れを止めることはできない。あとは、個人的に近寄らないか、あるいはビジネスとして積極的に関わるかだ。
IT技術と進化とこれからの商品のあり方
個人が情報空間にさらされ、情報がいつの間にかダダ漏れになり拡散していく。そして、それは宣伝広告と結びつく。そのデジタル技術は、開放された個人に新たな情報を注入する。それは身体を刺激し、これまでになかったリアルな経験をデジタルでもたらす。
ポケモンGOでは、現実社会とスマホ上のゲーム空間が融合している。次には、身体そのものが情報空間と融合していく。そのとき企業の活動はどのように変容していくだろうか。これまで商品を介在させ、その商品の便益によって企業は消費者を幸せにしてきた。しかし、これからは必ずしもそうではない。単純にいえば、モノを介する必要がなく、消費者にデジタル上で直接的な刺激を与えられる。
このときこれからの商品はどのように変容するだろうか。まずいえることは超・経験経済に移行することだ。これまでのように消費者にイベントを経験させるといったレベルではなく、デジタルを使った真のバーチャル経験を促さねばならない。「真」と「バーチャル」が並ぶとは、なんという逆説だろう。
そしてサプライチェーンは、デジタルへ同じく移る。消費者の欲求はデジタル上で生じ、それが可視化され、商品が納品される。糸井重里さんはかつて「ほしいものが、ほしいわ」という名コピーを生み出した。そしていま、消費者は「ほしいものが、いますぐほしいわ」と換気させられている。
そのとき、せっかく呼び寄せた消費者が欲しがっている商品を切らすわけにはいかない。そうなると、需要と生産を同期させることが必須となる。これまでコンビニは率先して消費者の欲求を満足させようと、ひたすら在庫切れをなくし、そして需要にマッチした商品を提供してきた。そのように、消費者の欲望を他業種もとことん追いかけることになるだろう。
サプライチェーンが生産から起点となり商品供給までの計画を練るものだとしたら、これ以降は、デマンドチェーンともいうべきデジタル操作された消費者たちの欲求を起点とする商品供給連鎖が注目される。
そうだ。『日経ビジネス』はワイシャツを配ったらどうだろう。そのワイシャツを着ているサラリーパーソンが書店に行けば、オススメの書籍を壁に掛けた広告が推薦してくれる(もちろん競合の書籍は推薦しない)。さらに階段の昇り降りで妙な動悸を確認すれば、人間ドッグへの勧誘がスマホへ届く。薬局の前を通り過ぎればドリンク剤を勧める。
もちろんこれはジョークである。しかし、IoT(モノのインターネット化)やタグの実装コストが低くなってきた今、これはジョークではなくなるかもしれない。
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