中国の農村と都市部の実態

 奇跡的な人間関係をどう築けるのか。もちろん、奇跡的に、だろう。

 山田泰司さんの著書『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』は、マクロ経済や統計、データからは見えてこない中国農民工の素顔に迫った感動的なルポタージュである。いや、私は同書をルポタージュと呼ぶのはいささか逡巡がある。著者が、n=1の出会いを重ね、そこに、無理な論理を盛り込むことなく、見たこと聞いたことをていねいに書いた労作だからだ。

 同書を解説する前に、ちょっと説明が必要だろう。

 一般的には、中国は「貧しい農業国を脱した」と理解されている。GDPは世界第二位になり、爆買ツアーの一行が日本に押し寄せ、そしてIT機器で世界を席巻している。深センなどの沿海地域に経済特区が1980年代に生まれ、いまでは深センはドローンなど先端機器の生産地として発展している。

 ただし、巷間で喧伝されている姿は、中国の一部でしかない。中国では、戸籍上も、農村(農村戸籍)と都市部(都市戸籍)で明確な違いがあり、前者の多くはまだ貧しいままだ。

 莫大な人民を食わせるために農民は農地に縛り付けられていた。その後、非国有企業が労働力を集めるために、農村から労働力を集めるようになった。他の社会主義国と同じく、農村からの人員を都市の工業化に“活用”してきた。しかし、日本のそれと違い、中国では都市において下の地位に甘んじ、搾取の対象となった。

 人民の平等を毛沢東は夢見たはずだったが、いまでは高級官僚をヒエラルキーの頂点とし、私営企業経営者、都市居住者と階層化されている。その都市には農民が流入し、さらに下の階層を構築するにいたっている。都市部の人民は、天安門事件で共産党政権に対する不満を鬱積したかと思いきや、彼らが経験したのは未曾有の経済成長だった。その躍進を農村からの労働者が支え、むしろ、都市部の人民は恩恵の享受者となっている。既得権益者たる都市部人民は、農村からの出稼ぎ労働者を、侮蔑する対象とすら考えている。

『食いつめものブルース』

 その状況のなかで、一人ひとりの農民は何を考え、何を希望に生きているのだろうか。『食いつめものブルース』で描かれるのは、通常であればメディアで流れない、流す価値もないと考えられている、彼らの実態である。

 田舎にいたら、自分の畑で作った食い物を食べればいいから、三度の食事はできる。でも、本当にそれだけだ。(中略)今年は二千元(三万二千円)にしかならない。それに、親の世代がもらっている年金は一ヶ月六十元(九百七十円)だ。上海は三千元(四万八千円)さ。おれの年収より上海人の毎月の年金が多いんだぜ。(中略)服一枚、靴一足買えないじゃないか。

 このような呻吟が多く書かれる。読んでいてつらいほどだ。

 特に、中国で人口政策の歪みを描いたシーンは強烈だ。シングルマザーは、一人っ子政策が終了したあとも、「計画生育」に違反したと、その子に戸籍は認められない。一人っ子政策以前から、一人目であっても罰金を払わなければならない。その罰金支払い査定が異常なほど恣意的なのだ。

 担当の役人が実家に乗り込んできて、「金回りはどうか」と「値踏み」をする。いくら払えそうか、というそろばんを弾きに来るのである。

 結果、六万元(百十万円)という金額が提示された。(中略)家中のカネをかき集め、幾ばくかの借金をしてこれを払った。

 しかし、他の例では、はたったの二千元だったというが、その理由は地元の役人に知り合いがいたから、だという。

 同書では、農村の労働者は、中国国内の都市部に出稼ぎに行くのは、もはや飽和しているため、娼婦になる姿が紹介されている。そして、その先にはアフリカに出稼ぎに行くことになるだろう、とも。

 繰り返すと、これらは、一つの実例であって、全体を記述するものではないかもしれない。ただ、「都会からポイ捨て」にあう、食いつめものたちの悲哀、は確かにある。