「私たちは、毛沢東時代と同じだといっているんです」
私の前にいた旅行ガイドは、笑みとも、諦観とも思える表情で語りだした。「たとえば、習近平の悪口をネット上に書いたとします。すぐ消されてしまいます。経済の状況は悪くなるばかりですが、悪い情報は流れません」。私たちを挟むテーブルには、所狭しと、料理が運ばれていた。料理を手にする店員がいても、彼らは日本語を解さないとわかっているためか、ガイドはより饒舌になった。
それにしても、経済成長にともなって給料はあがっているでしょう、と聞く私に、「物価はそれ以上にあがっています。いま、中国の都心部に住む庶民で、豊かさを感じているひとはほとんどいないでしょう」と語った。
彼はスマホの画面を見せてくれた。
- 「これはVPN(仮想私設網)につながっています。これがあれば、海外の情報を見ることができます」
- 「何を見るのですか」
- 「ニュースサイトです。そうすれば、中国政府が報じない真実を知ることができます」
- 「それを見ると中国は嘘ばかりですか」
- 「嘘ではないのですが、公にならないことが多くあります」
米中の貿易戦争が心配だ、といったガイドは、おもむろに「富を得ているのは、共産党の関係者だけです」と投げ捨てるように語った。
毛沢東は蒋介石を台湾へ追放し、1949年に中華人民共和国を作った。その後、朝鮮戦争を経て米国と対立した。毛沢東は暴力革命によって私有から公有へと切り替え、階級制度を崩壊させ、そしてプロレタリア化を完成させた。
1957年からはじまった、かの有名な大躍進政策では農民を鉄産業に従業させることで食糧不足を招き、そして3000万人が餓死した。
ガイドは、もう一度、繰り返した。
「私たちは、毛沢東時代と同じだといっているんです」。
習近平主席が肝いりではじめた副都市開発
私はそのとき、中国・雄安のレストランにいた。翌日に、雄安新区市民サービスセンターに行く予定だった。先の会話は、その打ち合わせを兼ねた食事会でのことだった。

少し、中国・雄安について解説が必要かもしれない。雄安新区は、習近平主席の肝入りではじまった開発区だ。この地区はSFさながらの地区といわれている。
もともとここは北京に続く副都市として構想された。北京から雄安までは100キロメートルの距離にあり、深センなどにつづく先進都市と位置づけられた。ここには、公共インフラの整備や産業勃興、ならびにイノベーション拠点の意味が付与された。
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