この図は、東日本大震災の際、被災したルネサス工場の復旧に立ち向かった自工会(一般社団法人日本自動車工業会)のメタファーとなっている。ルネサスは、自動車向けマイコンで世界シェアトップを誇るが、茨城那珂工場はその主力だった。東日本大震災の影響で、工場は壊滅的な状況になった。あまりの瓦解で、数年、少なくとも1年は復旧までに時間がかかると思われていたところ、実に1カ月でインフラ設備は復旧した。

 そのときトヨタ自動車をトップとする自工会の支援グループが、経済産業省の力を借りて、異常な速度でインフラ設備メーカーから復旧品の納入を受けたのはあまりに有名なエピソードだ。経済産業省の官僚が、日本中のメーカーに直接連絡し、日本の血流を止めてはならぬと協力を仰いだことが功を奏し、ありえない短納期が実現した。

 その事実から考えると、映画「シン・ゴジラ」における矢口プランは、官製サプライチェーンともいうべき経済体制の、高度な批評となっている。それは戦後、日本では官僚主導で各業界構造が作られてきた、という大きな意味ではない。硬直化したはずの官僚制度は、民間と軌を一にし、単純な一目的のもとには有効に機能する、という事実を映している。

 私は、矢口プランが、ルネサス復旧のメタファーだと述べた。このルネサス復旧に関するエピソードを庵野秀明監督が知っていたかは、もはや関係がない。物語は無意識を包含する。少なくとも、私たちはあの矢口プランで示された官製サプライチェーンにリアルを感じ、そしてある種の感動を覚えた。

サプライチェーンとその疑問

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 私は邦画を見るたびに、まどろっこしさを感じる。その多くは、登場人物たちの「説明しすぎ」にある。なぜ邦画では、登場人物があらすじや感情を一つひとつ口で説明する必要があるのか。ひとりきりでいる部屋で、なぜ、あえて口に出して心理描写をする必要があるのか。それはテレビの影響がある。主婦を中心とする視聴者層は家事をしながらテレビをつけっぱなしにする。そのとき、登場人物は画面を見ていない主婦のために、みずからを説明せねばならない。

 しかし、映画「シン・ゴジラ」は、その日本的演技を逆手にとった。言葉と説明を冗長にせねばならない政治の世界に舞台を設定することで、「不自然」は「自然」となった。これは一つの発明であったと私は思う。

 ところで、感動的であるとはいえ、官製サプライチェーンが、あれほど納期を縮めたことに「不自然さ」はないのか。まず、この血液凝固剤を製薬と考えれば難しい。これは厚生労働省の承認まで10年かかるという制度上の長さだけではない。そもそも標的分子の探索から、理化学的研究にいたる、いわゆる非臨床試験の前段階であっても2年から4年はかかるからだ。また、医薬品医療機器等法があり、通常は、未認可製薬のために量産設備を稼働させることはない。

 さらに製薬工程では、反応釜と攪拌(かくはん)翼が問題になる。撹拌とは原材料を混ぜあわせることで、攪拌翼は釜中央にあり回転する。少量の場合であれば問題ないところ、急に量産してサンプルと同一品質をつくり上げるのは難しい。さらに製薬はさほど大量生産を目的としておらず、必然的に多数の工場で血液凝固剤を生産することになるから、さらに同一品質が難しくなる。

現場担当者への確認

 複数の製薬サプライチェーン関係者にも確認してみた。かつて新型インフルエンザが流行した際、何千万人分のワクチンを増産した。そのように製法が確立しているものであれば、量産はできる。しかし、初品を量産することは難しい。また製薬の原材料はヨーロッパ、米国などから輸入するケースが多い。そのため、納期の問題も生じるかもしれない。