なお、これは前述のKIROだけではない。CNNも、エコー・ショーを使って朝ニュースの縮小版を提供し、ブルームバーグも株価情報などを提供し……と、さまざまなメディアが、エコー・ショーなる新メディアに新たな活躍の場を求めている。
機器のスマホ、人のエコー・ショー
人間の半径1メートル以内に24時間常にいる情報デバイスはもちろんスマートフォンで、そのスマートフォンが消費の窓口にもなってきた。現在のネット通販の勃興も、このスマートフォンの普及なしには考えられない。
それに続いて、アマゾンはもちろん「ファイアフォン」などの投入で、スマートフォン分野の再反撃も忘れてはいない。ただし、スマートフォンに対して、家庭に据え置くもう一つのスマートデバイスとしてエコー・ショーを売り出している。スマートフォンが、まさに「フォン」であり「小型PC」であるイメージの一方で、エコー・ショーは「アレクサ」という人格で売り出しているのも象徴的だ。頼れる相棒、頼れるお手伝いさん、頼れる仲間、というイメージだ。
音声認識の分野では、アップルやグーグルも参入しており、競争は激しい。アマゾンは、ネット通販の強みをいかし、家庭に定着させるように次々とサービスを打ち出していくだろう。アレクサに話しかけられる機会が多いほど、アマゾンで買物を行う機会も必然的に多くなっていく。
エコー・ショーの機能とその魅力を書いた記事があふれている。映画のチケットも買えるとか、ピザが注文できるとか、トリビア的な豆知識を教えてくれるとか、私にとってはさほど魅力的ではないものも含むが、消費サービスの窓口として活用され、それが習慣化されるとエコー・ショーから離脱できなくなるかもしれない。
この価格は229.99ドルだそうで、アマゾン本家のレビューを見ると、おおむね高評価だ。
受動的メディアと能動的メディアの果てに
スマートフォンでは、アプリを開く機会が多くなり、ブラウザを開く機会が減った。たとえばエコー・ショーでも、ブラウザを開いて、何かを調べて……という能動的な行為から、アレクサに教えてもらう受動的な行為がさかんになる。しかし、思うに、テレビというメディアは、「とりあえず付けておけば面白い番組をダラダラと視聴できる」受動的なものだった。テレビは、テレビ局が選んだ情報が流される。そこには一定のゾーニングがあり、ある種の人たちはテレビ局の倫理から排除される。
ただその後にYouTubeや各種のSNSが登場し、テレビというメインストリートでは視聴できないキャラクターも多く見ることができるようになった。これは一つの収穫だろう。ただし、その数が増えてしまったあと、キュレーションが生じた。説明するまでもなく、これは第三者による推薦だ。そこで、人気が局地的に集まるようになった。
ところで、エコー・ショーはどうだろうか。アレクサが選定したニュースを流すようになれば――もちろんアレクサが意図的に邪悪なニュースを選別するとは思えないが――、アレクサが選定したものだけが米国では「世の中に存在するニュース」になるかもしれない。
とりあえず、日本にもアレクサがやってきたら、いろいろと聞いてみようと思う。
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