<「個」が移動し、出会い、接触することで、異質な個性と価値基準が衝突し、あるいは影響を受け合いながら、そのミクロなインターカルチュラリズムを通して、「近代(主義)」が切り捨ててしまった異質なものや敵対するものを取り込む柔軟性、機能を固定させないタイム・シェアリングの発想、旅の思想、混沌とした存在や中間領域の曖昧性をすくいあげていく>

といった解説は、まるで多様性主義といった企業の主張を遥か前に宣言したかのような記述ではないか。

 そのほか、氏の書籍をほぼすべて読んでみると、その先見性に感服してしまった(とくに『ホモ・モーベンス』『共生の思想』を見よ)。そこで、氏が何度も触れているのが、自動車だ。動く個人を考えたときに、やはりもっとも武器になるのが、自動車だったに違いない。自動車は、モビリティーという権利を与え、そして動く中で人間は新たな発想を生み出す。動く中で人間は、自分自身を変えていく――。

テスラはトヨタと離婚したが……。

 ところで、自動車は、日本のお家芸だった。細かな改善、そして、品質の卓越さ。黒川紀章氏はおそらく日本の自動車産業の強さも前提とした上で、これから現代人が必要となるモビリティーに言及していた。そして、その現代人に最も必要となるモビリティー=自動車の分野で強い国は、最も世界中で必要とされる国になるだろう。

 なぜならば移動することが付加価値を生み、そして、これまでにないアイデアを生むのであれば、なによりも自動車を生み出す国が、競争優位を持つはずだ。それは日本にほかならない。私自身も自動車産業に身をおいていたため、その強さは理解している。では、日本の強みの源泉となりうる、自動車産業の現状にはどのような変化が起きているのだろうか。

 例えば米フォード・モーターは、「Made in USA」=米国生産、の難しさを証明しはじめた。同社はトランプ大統領のプレッシャーで、小型車についてメキシコの生産移転を断念したが、結局は、米国に戻さずに中国に移管するとした。2017年1月にメキシコ計画を「あざやかに」中止したはずが、コストの格差に抗えなかったようだ。私はもともと米国回帰に懐疑だと繰り返し述べてきた。輸出コストを払っても、生産コストが安価な国に流れ行くのは当然で、米国に回帰するのが強引だった、というだけにすぎないだろう。

 ところで、この動きはフォードだけではない。米テスラもそうだ。テスラは多くの人が知るとおり、自動車産業の台風の目になっている。電気自動車で最高の注目度を集め、さらに伸びも凄い。その成長の凄さが、トヨタ自動車に結婚解消を検討させたといわれる。2016年決算報告によると同社は7万台強の電気自動車を販売したが、今年に量産が始まる「モデル3」は、40万台以上の予約を受けていると言われている。日産自動車がこれまで販売してきた電気自動車の数を超えるかもしれない。

 同社はトヨタと2010年に業務提携を発表した。その出資額は5000万ドルにいたった。しかし、2017年にきて、トヨタは同社の株を売却し、「離婚」した模様だ。トヨタは遅れた電気自動車開発を加速させようとしていたが、ケイレツ技術を活用することで、独自戦略で巻き返そうとしている。