(写真:AP/アフロ)
(写真:AP/アフロ)

 私が現在の本業であるコンサルタントをやりだして、しばらくたったころ、1冊の本に出会い驚愕したことがある。そのころ、都市と物流について、あれこれと調べていた。そのときのテーマは、技術によって物流がいかに変わっていくかだった。かつて、モノを右から左に流すだけだと思われていた物流も、付加価値があるものとして認識されだしていた。

 しかも、何かが運ばれるときには、その効率性が注目される。物流が都市を活性化し、そして物流が都市を流れる血液だとすれば、都市の形そのものも変容していく。中央に何かが集中し、そこから放射状に広がっていくような都市のあり方から、機敏性をもつ都市へ。例えば、あるスペースは、ときに駐車場となったり、ときに荷物の受け取り場所になったりするかもしれない。

 製造業のあり方についても、3Dプリンターのようなモビリティーのあるツールによって、固定的ではなく、さまざまな場所へと拠点が変わるかもしれない。モノは、動くトラックの中で生産される可能性もある。シェアリングサービスが興隆している。驚いたのは、このところカーシェアが営業パーソンの「昼寝場所」になっていることだ。さまざまなものが共有化され、所有とレンタルの境界線が曖昧になるばかりか、役割すらも曖昧になっていく。

 都市というのも、これからは、これまでと違った形に変容するに違いない……。そう古本屋をめぐりながら考えた私に、一冊の本が飛び込んできた。『ノマドの時代』(徳間書店)。筆者の黒川紀章氏の印象は、失礼ながらそれまでは「都知事選に出て惨敗したおじさま」といったものだった。

 しかし、それにしても奇妙なのは、ノマド(定位置をもたず、ノートパソコンとスマホを携え、どこでも働くひとたち)なる単語が流行したのは、氏が鬼籍の人になったずっと後のことだ。そこで本の奥付を見て驚いた。なんと氏は80年代から、ノマドの時代を予期していたのである。しかも、その先進性。そこに書かれていることの多くは実現しているのだ。書かれたのが2000年代であっても、なんら不思議ではない先見性。

 動くこと、たゆまなく変容し続けること、速度を上げて現代とぶつかり続けること――。そこに現代人の先進性を見た氏は、たしかに時代を、あまりにも先取りしていた。氏の特有とする、いい意味でのわかりにくさも、激情にほだされた文章に昇華しており、読むものを鼓舞してやまない。

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