(写真=REX FEATURES/アフロ)

EUがもたらした効率性

 日産CEOのカルロス・ゴーン氏は、英国の欧州連合(EU)離脱問題について短いコメントを発表した。国民投票が行われる前だ。「もちろん英国は、このままEUに留まるほうがふさわしい(“our preference as a business is, of course, that the UK stays within Europe”)」。

 自動車産業の各社は英国に拠点を置き、生産し、EUに輸出している。考えてみれば当然で、完成車メーカーとシステムアッセンブリーメーカー、部品メーカー、そして研究機関にいたるまで、国家の垣根をとっぱらって、密接な情報やアイデアの交換ができれば効率は高い。とくに自動車産業では、パーツそれぞれに技術革新が進み、企業複合体でなければ他メーカーに対抗できない。

 かつて自動車産業では、「先進国1億人」説があった。これはその国で人口が1億人を超えていれば、ほぼすべての部品や技術が現地調達できる、というものだ。先進国で1億人を突破している日本や米国では、なるほど、他国メーカーに頼らずに自国メーカーだけで開発・生産ができる。しかし、欧州で人口1億人を突破している国はない。だから、EUを作った、と考えればわかりやすい。

 上記のゴーン氏のコメントを掲載した記事によれば、特に自動車産業等でEU勢がふんばってきた「キーポイントは、法制度や、システム、政策、エンジニアリング手法にいたるまで、標準化が必要なことであり(“the key point here is that to make this happen there needs to be a degree of standardisation in legislation, systems, policies, and even engineering methods.”)」、「その多くは、EUという集まりゆえに可能だった(“Many have been guided by the EU”)」のだ。

 だから、問題はあるとはいえ、産業としてEU全体ではうまくいっているように見えた。少なくとも、その代替案が存在しない、という意味でも。

英国離脱の衝撃

 6月24日(金曜日)から欧州圏にいるサプライチェーン関係者と連絡を重ねている。そして、日本にいるサプライチェーン関係者とも意見交換を繰り返している。理由は、もちろん英国のEU離脱についての影響を探るためだ。

 正直に申せば、読者の多くと同様に、投票が離脱に傾くとは思わなかった。ポンド下落、そして円高と、世界同時株安……というシナリオは、シミュレーション上のものであって、現実化はしないだろう、と考えていた。

 2年前の独立住民投票において、スコットランドでは辛勝とはいえ、英国への残留派が55%を超えた。英国がもしEUを離脱すれば、経済的な損害は避けられないだろうと、各国のエコノミストも警告していた。英国では輸出の半分をEU向けが占めている。英語でビジネスができることもあって、多くの外資系企業が英国に欧州拠点をもっている。欧州系ではないグローバル企業の6割が英国を拠点にしているとの統計があるほどだ。

 もちろん移民や難民の問題はあった。10万人に抑えるとしていた移民だったが、昨年は33万人にまで増加している。とはいえ、英国がEUに加盟していたメリットも大きく、私の知人(英国での駐在員)は「英国がEUから抜けたら、英国に拠点をもつ根拠がなくなる」といっていたほどだ。また労働者も、EU加盟により、権利が保証されていた。

 また英国がEUを離脱すれば、各国とFTA(自由貿易協定)を締結せざるを得ず、それには途方も無い時間と努力を要するはずだ。それに一度EUから離脱してしまえば、再び戻ってこようとしても10年とか20年の単位が必要なはずだ。

 だから、英国はEUを離脱しないだろう――。

 甘いといわれれば、それは、確かにその通りだった。

英国の離脱影響

 当原稿を書いている最中に、再投票を求める声があがっている。おそらく再投票はないだろが、どうなるかはわからない。とはいえ、当原稿では、このまま離脱を進める、という前提でサプライチェーンの影響について書く。

 まず、英国はこれから2年間ほどのEU離脱交渉に入ることになる。前例がないため、この2年なる期間もよくわからない。ただ、英国の離脱に影響を受け、離脱国が増えてしまわないよう、EU各国は英国に対して強硬な姿勢になるだろう。英国は移民の流入を防ぎ、それが自国民の失業率低下につながるのか、不明なままだ。

 ここでは、短期と中長期に分けて、その影響を分析する。

<短期>

 英国をサプライチェーンに組み込んでいる企業は、どのような影響を受けるだろうか。短期的にはポンド安、資産価値下落、株安が襲う。ただ、なかには、ポンド安を利用しようという動きもある。ポンド安がEU各国からすれば、英国買いをもたらす。ポンドが下落し、小売業各社にとっては、短期的にはメリットをもたらす

 ただ、現在、各社は英国への設備投資を抑制しているが、EUを離脱するとなると、さらに慎重になるだろう。すでに設備投資してしまっている場合、採算をまだ超えていないケースは、撤退なども視野に入れるべきだろう。

<中長期>

 短期的にポンド安に助けられる側面もあるかもしれないが、製造業などは他国で生産したほうが競争優位を保てれば、中長期的には労働は流出していくだろう。同時に、企業側も、英国内に工場や取引先を残すか検討せねばならない。

 また英国は労働組合と新たな雇用ルールを決める必要があり、(これは労働者にとっては条件の改善になる可能性があるが)企業側からするとコストアップになり、結果からすると脱英国を志向するかもしれない。

 特にサプライチェーンの実務のうち、ディストリビューション(倉庫、配送などの業務)は大陸からの大量な労働力に助けられている面が多い。もちろん、これで自国民が失業したと主張する人もいるものの、人手不足になると英国のサプライチェーンコストは上昇していくだろう。すると、英国で生産する場合のコスト競争力がさらに低下しかねない。

 英国はEU国以外とこれから、独自で貿易ルールを決める必要があり、これがサプライチェーンに影響を与える。流通構造は複雑化していくため注視する必要がある

サプライチェーンのリスクとこれから

 それにしても、津波や地震など、サプライチェーン関係者がリスクととらえていた事象はいくつかあった。ただ、特定国家の経済圏離脱は、ほとんど考えられていない。グローバル企業は、各国が自由経済圏に加入拡大することを前提においても、それから退くリスクについては考えも及ばない。

 例えばグローバル企業が投資を行うとき、その経済圏の拡大と、規制の撤廃を見込み、自由な活動を前提とする。例えば、アセアン経済共同体(AEC)発足のとき、シンガポール、タイ、インドネシア、ベトナムなどの主要国が、AECを脱退するとまで考えている企業はあるだろうか。おそらく存在しないに違いない。

 「経済圏でまとまったほうが効率的だ」という主張には一理ある。冒頭で自動車産業の事例を紹介したとおり、効率的だし、事業を回す速度も向上する。これはグローバルで事業を行い、しのぎを削る際に強みとなる。一方で「各国で独立したほうがよい」という主張は、やや説得性を欠く。小さな単位で経済活動をしたほうがよい、というのであれば、県や市のレベルにまで小さくする。いや、町村のレベルにまで最小単位化したほうがよいのではないか、と極論に至る。

 しかし英国民は、たとえ経済的に不利益を被ったとしても、主権と自由を選択した。それは損得勘定や利害関係や、効率といったものをはるかに超越した、尊厳すべき「何か」だったのだ。

 おそらくサプライチェーン関係者は、離脱などの動きを読むことはできない。ただし、各国が経済圏から離脱しても、柔軟に戦略を書き換えるべきなのだろう。

 それにしても、と思う。

 おそらくいま起きているのは、国民国家と自由主義経済の終わりなき闘いなのだろう、と。