そういった海外にあるノウハウは簡単に移管できない。仮に移管できるとしても、米国と中国の人件費の差は引き続き大きい。また米国における製造受託メーカーの多くは、試作品や多品種少量品、ハイエンド品が対象だ。海外で生産している製品を米国生産したくても、生産を受けられるメーカーが米国に存在しないのだ。

生産回帰は2011年のみ

 こういった傾向は、米ATカーニーが発表している「生産回帰指数(Reshoring Index)」にも表れている。先述したように、オバマ大統領が生産回帰、そして製造業の輸出振興を訴えた2011年こそ国内生産の増加傾向が見られるが、2012年以降は一貫して輸入の占める比率が増加している。

 これまでの米国における生産回帰の取り組みと結果から判断すると、トランプ氏の主張である米国内に生産を戻すのは事実上不可能だ。ただ、世界の消費者が、米国で生産した価格の高いiPhoneを購入するのであれば話は別だ。iPhone6の製造に要する人件費は、中国では1台当たり4米ドルと言われている。一方で、米国のサンフランシスコと中国の広州の人件費は、一般ワーカーレベルで、それぞれ月額3370米ドルと462米ドル。実に約7.3倍もの差がある。これを単純に当てはめると、米国ではiPhone1台当たりの人件費が29.2米ドルとなる計算だ。

 関連する製造ノウハウの移管に要するコストや時間を考え合わせると、トランプ氏の主張に答える形でアップルがiPhoneの生産を米国内に戻す事態は考えられない。他の米国企業も同じ判断をするはずだ。オバマ大統領の主張を受け入れず、生産回帰が実現しなかったように、トランプ氏が大統領となっても、米国内で再び生産が行われる可能性は極めて少ない。

 クリントン氏も、TPPに反対を主張し、トランプ氏が受け入れられている点を意識した発言を行っている。オバマ大統領の政権内で主張した生産回帰と輸出拡大が、思うように進まない可能性を見据え、今後現実的な主張を行う余地を残している。

 ビジネスマンとして成功を収めたトランプ氏が、経済的合理性を兼ねそなえた生産回帰の難しさを理解していないはずはない。しかし、これまでの発言内容の転換は、熱狂的な中間所得者と無党派層を基盤とする支持者を失う結果につながる。米国企業のサプライチェーン的視点でみれば、民主党のクリントン氏を支持すべきだ。

 このまま虚像の生産回帰を追い続け、トランプ氏が大統領の座を射止めるのか。しかし、トランプ氏の主張は、iPhoneの背面に刻印されている「Designed by Apple in California Assembled in China」にある高付加価値の仕事を米国内で行って発展した企業からすれば、まさに正反対の主張に映るであろう。トランプ氏が今の主張を続けられるのか。クリントン氏が現実的な主張を始め有権者に受け入れられるのかどうか。各党の候補者指名から目が離せない。

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