コンサルティングで企業に出向く。部長はやる気があっても、部下には「はいはい、部長がまたなんかはじめたんでしょ」という虚無感だけが充満していた。何か施策を提案しても、「え、そんなのやるんですか。それは無理です。なぜなら」と無数の言い訳が続く。なるほど、調達のプロとは、「できない理由をすべて知っている」ひとなのだと気づいた。

 ある企業に出向いたとき、なんと、全員が起立して迎えてくれた。驚いたのは、その身長がすべて180cmを超えていたことだった。そこの上司に聞くと、「調達にはバスケ部の人間が自動的に配属されるんですよ」と笑って教えてくれた。「基本的には伝票処理ですから、たくさん書いても疲れない体力も必要だ」。精神論を語ると目が輝いていた受講生たちも、原価計算の方法を伝えていると、つまらないと顔が訴えていた。まるでその顔は「そんな高度なことまで会社から求められてねえよ」といいたげだった。

 コンサルティングとの現場では、「何かをしたい」というクライアントがいて、それをサポートするコンサルタントがいる……はずだった。ただ現実には、ほんの一部の方以外は、「何かをしたい」と思っていない。だから、コンサルタントである私に、「なぜこんなことする必要があるんですか」と逆質問するひともいる。これを、ちょっと違う例で考えてみると面白い。マーケティングコンサルタントがいるとして、企業から依頼されて出向くと、社員から「なぜマーケティングを改善する必要があるんですか」「なぜ売り上げを上げる必要があるんですか」と聞かれたとする。彼は「その質問を、私にされても困るよ」というだろう。ただ、調達・購買のコンサルティングの現場では、そういう場面に出くわした。

調達・購買業務が注目を浴びるようになって

日経ビジネスオンラインに寄稿を始めた頃の著者(『<a href="/article/interview/20131227/257668/">サプライヤーとは戦略的に癒着する</a>』)より
日経ビジネスオンラインに寄稿を始めた頃の著者(『サプライヤーとは戦略的に癒着する』)より

 理想と現実の、あまりのギャップに悩んでいた私は、しかし、運と時代にも恵まれ少しずつ仕事の場を増やしていった。運というのは、テレビ出演で、もともと違うひとの代役だったものの、その翌週も、次の週も、と続き、定期的にTBSのスタジオに向かい、コメントをカメラの前で話す仕事が増えた。さらに書籍の執筆機会もいただき、現在では32冊を数えるほどになった。その過程で、調達・購買部門のなかで志を同じくする方々と出会い、調達・購買改革の仕事に携わるようになった。コンサルタントは成果が出なかったら単に呼ばれなくなるだけだから、いままで継続できているのは幸いだ。

 そして、もう一つの時代、というのは、必然的に以前にくらべると調達・購買部門に注目が集まってきた。理由は、三つほど考えられる。

 一つ目は、企業の売上が右肩上がりを望めなくなったいま、コストを低減するしかないと考えられたこと。二つ目は、サプライヤーの寡占化だ。それまで元請け(=仕事を与えている)と下請け(=仕事を受けている)の構造だったところ、どんどんグローバルなサプライヤーが巨大化・寡占化してきた。それに対抗するために、調達・購買部門が力をもたないといけない、というわけだ。三つ目は、CSRの関連だ。それまで自社内で法令遵守すればよかったところ、サプライヤーの法令遵守をも監視する必要が出てきた。

 この三つ目は、もちろんいまだに課題だ。アップルは、iPhone組み立てのフォックスコンの労働問題にまで目を光らせている。フェアトレードという言葉もある。アパレル業界は縫製を担うバングラディシュなどの遠い異国でも不公平な取引になっていないか気をもんでいる。だからこそ、調達・購買部門が取引先管理の意味でも重要というわけだ。

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