広く伝えようとする広告は伝わらない
「伝える」と「伝わる」の間に流れる大きな川(アートディレクター葛西 薫さん 第4回)
日本を代表するアートディレクター、葛西薫さん。サントリーのCI計画や、中国を舞台にしたウーロン茶の一連の広告をはじめ、虎屋のロゴデザインやパッケージ、ショップなどにもかかわる総合的なデザインや、ユナイテッドアローズの広告などを手がけています。
広告業界では知らぬ者はいないであろう葛西さんに最初にお会いしたのは15年ほど前。
抽象的な表現や難解な言語、カタカナ用語を一切使わず、平易な言葉で、ユーモアを混ぜながら、自身の仕事を的確に表現する。何て「やわらかいひと」なんだろう、と気を許していると、突然、どきっとするような厳しい発言が飛び出す。
「いま流行っているあの広告、良いと思いません」
インターネットが普及してはや10数年、スマートフォンが台頭し、広告を取り巻く環境は日々変わっている。そんな時代だから、葛西さんにストレートな質問をぶつけることにしました。
「葛西さん、良い広告って何でしょう?」
(前回から読む)
「そもそも「不特定多数」なんて人はいない」
葛西 薫(かさい・かおる) サン・アド常務顧問。1949年生まれ。文華印刷(株)、大谷デザイン研究所を経て、1973年サン・アド入社。サントリーウーロン茶、ユナイテッドアローズ、虎屋の長期にわたるアートディレクションほか代表作多数。近作に、スポーツカーTOYOTA86の広告。著書に『図録 葛西薫1968』(ADP)など。(写真:大槻純一、以下同)
葛西:広告って、多くの人に商品やサービスの情報を伝えることが目的です。なにせ「広く告げる」ですから。ただ、ずっと広告の仕事をやってきた僕の経験から、この「広く告げる」という部分にはちょっと罠があります。
川島:といいますと?
葛西:最初から「不特定多数」の誰にでも好かれようとして広告を作るとたいがいうまくいかない。つまり「広く告げよう」とした広告は、「広く告げられない」。
むしろ「個人から個人に伝わる最小限のコミュニケーション」を頭に描いて作った方が、最終的には「広く告げる」ことができる場合が多い。実際、僕の経験でも、うまくいったと思われる広告の多くが、誰か特定の個人に伝えたいという思いで作ったものでした。
川島:広告主にその論理を話しても、なかなか伝わらないのでは?
葛西:いえ、広告主だって個人の集まりですから、話せばわかります。広告は、誰か特定の「あの人に伝えたい」という強い思いから作った方がうまくいく。広く伝えようとするほど相手を見ていないことになる。
そういう広告は、勢い派手になるか、有名タレントを使うか、マーケティングデータに縛られて、どこかで見たことのあるような内容になるかとなり、広告の個性そのものはむしろ減じられてしまったりする。結局「伝わらない」のではと。
川島:うーん、広告主は、不特定多数のなるべく多くの人にアプローチしたいんですよね?
葛西:そもそも「不特定多数」なんて人はいない。僕も川島さんも、不特定多数の1億2000万人のひとりだけど、自分のことを「不特定多数」のひとり、とは思わないし、思いたくないですよね。毎日こんなに大変なんだから(笑)。
川島:たしかに! 私は不特定多数なんかじゃない!って思いますよね。
葛西:だから、顔の見えない相手をマーケティングする、というアプローチは、結局誰の心にも響かない。つまり「伝える」と「伝わる」の間には大きな川が流れてる(笑)。
川島:葛西さんが、最近「これは伝わってくる」と感じた広告は?
葛西:駅などで見かけるアップルの「iPhone」の広告。あれはいいですね。大きな看板に1枚の写真。コピーは「iPhone6で撮影」。ほかに何の説明もないし、写真も誰か有名写真家が撮ったわけでもない。被写体も別に有名人が写っているわけでもない。
いわゆる広告写真ではなく「個人」を感じる。なんの説明がなくても、「iPhone6」の性能を誰でもわかるかたちで示している。スマートフォンについているカメラ機能で、ここまでの写真が撮れるんですよ、ということをたった1枚の写真とたった1行の説明で、「伝わる」。
川島:ある種、理想の広告ですね。
「我ながら、ちょっと感動しました」
葛西:「iPhone」の広告の話が出たついでに。ある人から聞いた話ですが、アップルでは、屋外に看板広告を出すときには、周囲の環境に配慮しなければいけない、という内部規律があるそうです。
川島:看板広告って「目立ってなんぼ」ですよね。周囲の環境に配慮し過ぎると「目立たなく」なって、広告効果もなくなってしまうのでは?
葛西:理想が高いということだと思います。「悪目立ち」しすぎたら、その商品の存在を見た人に印象づけることはできるけど、「悪印象」になってしまうかもしれないじゃないですか。
僕も、自分の作った広告が駅や街に貼られると、必ず現場に行くことにしています。どんな風景になっているのかを見てみたくて。広告単体ではなく、周囲と一体となった時、自分の作った広告がどう見えるのだろうということが気になるのです。
川島:どうですか、実際にご覧になって。
葛西:少しにんまりするときもあるし、ちょっとがっかりするときもあります(笑)。
川島:葛西さんでもそうなんですね(笑)。最近にんまりしたのは?
葛西:最近ではないですが、2004年に、セレクトショップのユナイテッドアローズが展開している「グリーンレーベル リラクシング」というブランドの駅貼りポスターを手がけた時ですね。JRのあちこちに貼り出すことになりました。駅のホームがインテリアのように見えたらいいなあ、と思ってデザインしたのです。
川島:思い出しました。「グリーンレーベル リラクシング」がロゴを変えた時のシリーズ広告ですね。
葛西:そうです。「グリーンレーベルリラクシング」って長いけどいい言葉ですよね。特に「リラクシング」が。このネーミングに引きずられて、木の葉のようなシルエットのマークと、1行の小文字のロゴデザインを考案しました。
川島:そうそう、覚えています。渋谷駅のホームのビルボードにずらりと並んだ風景は、ちょっと壮観でした。葉の一部がクローズアップされていたり、たくさんの葉が縦横に整列して並んでいたり、「ユナイテッドアローズ、かっこいい広告を作るなあ」と思ったんです。素敵な言葉がポスターに添えられていましたよね。
葛西:そのうちの1枚は、一人の少女の成長物語になっています。コピーライターの一倉宏さんによる文章です。
川島:葛西さん、駅で実際にご覧になって、どう感じました?
葛西:我ながら、ちょっと感動しました。渋谷駅で見たんですが、雑然としたホームに、緑が添えられてちょっと落ち着いた雰囲気になったような。ああ、こういう渋谷駅、見たことなかったよな、と。
これにはちょっとしたこぼれ話があって。サン・アドに入社したデザイナーから、「あの広告を見た時、文章を読んで泣きそうになりました」と言われたのです。「ああ、伝わってくれたのだ」と、心底、嬉しかったですね。
広告以上に好きな仕事、それは本の「装丁」
川島:葛西さんは、グラフィックに限らず、映像やプロダクト、書籍の装丁、企業のブランド作りまで、多くの仕事を手がけていらっしゃいますが、中でも「これは好き」というジャンルはあるのですか。
葛西:一番好きなのは、本の装丁の仕事です。
川島:え、そうなんですか! 意外!
葛西:装丁の依頼が出版社の編集者からあると、まずは原稿=ゲラをもらって、こつこつと書いてある言葉を読み込む。どういう文字組にしてどんなフォントを選んだら本文が読みやすくなるか。カバーに関しては、どんな絵とどんな文字を配置するか。その本の全体の構造を見抜いてかたちにする。それが装丁という仕事だと思っています。この過程が大変なんだけど楽しいんですね。
たとえばこちらの本。『僕には歌があるはずだ』。画家の有元利夫さんの画集で、作ったばかりです。
川島:ハードカバーでなくソフトカバーなのに、上質なデザイン。紙のセレクトから印刷のクオリティも手が込んでますね。
葛西:有元さんは、もともと大手広告代理店で広告の仕事をしていた方なんです。ところが若くして会社を辞めて画家になり、こつこつと作品を描いていらっしゃいましたが、なんと38歳の若さで亡くなってしまった。奥様が保存しておいた数々の作品を、きちんとまとめて画集にしたいということで、出版社を通じて依頼が来たんです。
没後30周年を記念して、決定版的画集を作ろうと、僕も力が入りました。本のデザインをしていると、作者が作品を作ってきた時間に寄り添うことになる。この本をデザインしている間、画家の有元さんの絵を描いている時間と、ずっとおつきあいしたような感じがありました。
川島:装丁って、ただ本のカバーをデザインするだけじゃないんですね。
「こんな世の中にしてしまった責任を少しは感じていて…」
葛西:この本に掲載した有元さんの作品、実際の大きさはかなりばらばらなんです。ものすごく大きいものもあれば、とても小さなものもある。そこで、読み手が絵の大きさを想像できるようにということで、大きい絵は大きくレイアウトして、小さい絵は小さくレイアウトするというデザインをしてみました。ただ、一番大事にしたのは、むしろテキストのページのデザインです。
川島:略歴や先品リストが載っているページですね。
葛西:絵の作品集にとっては、テキストは、いわば脇役です。でも、こういう脇役ページのテキストの文字の選び方、組み方がきちんとできているかどうかで、その本のデザインのベースが決まりますし、何よりその本が信頼できるかどうかは、案外こういう目立たないところのデザインにあると思うのです。
川島:タイトルもいいですね。「僕には歌があるはずだ」と帯に堂々と付されています。
葛西:これは、作家の日記の中の一節から、タイトルにしたらどうかと提案したのです。
川島:書籍の冒頭に、日記の一部が記されているのですが、「ささやかな出来事やささやかなキッカケを大事に大胆につむぐ。これが明日からの仕事だ」というくだり、胸に響きます。
葛西:こういう感覚は、もしかすると今の時代、少し希薄になっているかもしれない。でも、こういう喜びって大事なことで、そういう空気を今の子どもたちに伝えることができればいいという密かな思いもありました。「皆があっちの泉に集まっている時に、実はこっちにおいしくていい泉があるぞ」みたいな仕事、もっともっとやっていかなければならないと思っています。
川島:葛西さんは1949年生まれ、いわゆる団塊世代でいらっしゃる。団塊世代は、日本が戦後の高度経済成長期を上り詰めていく原動力になった世代とも言えます。だからなのでしょうか。今でも右肩上がり、がんがん行け、というモードを持った方、決して少なくなくて、ときどき付いていけないなと思っちゃいます。
葛西:僕も、こんな世の中にしてしまった責任を少しは感じていて。「そっちだけじゃないぞ」ということは思いますし、伝えていかなければならない。何と言われても言いたいことを言うぞと。この歳になって、そういうところが出てきましたね(笑)。
成長より成熟を
葛西:僕は、何かプレゼンテーションする時も、こうやって手描きで(手元のスケッチブックの中身をぱらぱらと見せながら)やることが多いんです。そのほうが、パソコン上で描き起こしたものより相手の顔が輝く。
きちんとしたビジュアルとか活字にしてしまうと、「すでに決まったもの」という感じが漂ってしまうじゃないですか。手描きの方が、相手も僕もイメージが広がるんです。
川島:パソコンで作られた素案って、もう完成してしまったカンプみたいな感じが漂ってしまうかも。
葛西:電子機器を使わず、「丸腰」の方が、発想力って出ますよね。身体を使う喜びをもっと味わってほしい。そういう原始の感覚みたいなものに少しでも近づけば、むしろ未来が拓けると思う。それがパソコンを使ってデザインをすると、ついつい完璧な絵を描こうとしちゃう。でも完璧なものって、実は現物なわけで。
川島:そこに自己矛盾が生じる。
葛西:パソコンでのデザインはシミュレーションのためと頭ではわかっているのに、使い始めると、完成品を作ろうとなっていたずらに時間を費やしていく。そうするうちに、人間の感受性とか潜在能力が劣化していくのではないかと感じるのです。
川島:企画書も同じことですね。パワーポイントの出現で、それらしい体裁の企画書ができちゃうし、完成品に近づけようと、どんどん分厚くなっていく気がします。
葛西:亡くなった広告評論家の天野祐吉さんがよく「成長より成熟」と言ってました。まったくその通りだと思います。成長、成長、進化、進化と声高に謳って、いつになったら「足るを知る」ことになるのかなあ…と思う。
プラスの上のプラスを追うのではなくて、少数のもの、置き去りにしてしまったものに目を向けて、それをプラスに転じる。デザインという仕事がそのようであったら、喜びを感じます。
川島:成熟のためのデザインの仕事、未来に向かって勇気づけられるお話です。
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