「広告において、丸出しは禁物です(笑)」

葛西:そうだといいですねえ。たとえばポスター。僕にとって、ポスターとは、世界の一部のトリミングに過ぎなくて、その周りにある大きな広がりを想像しながら作っているところがあります。

 全部表したくない。つまり、見えるものによって見えないものを感じてほしい。だから、「葛西の広告は寂しい」とか「力がない」とか言われることもあるのですが(笑)。

川島:一方で、そういう「余白」のない広告も、テレビからたくさん流れてきます。

葛西:それぞれの方法の問題なので、あくまで個人的な感想ですが、短い時間の中に詰められるだけ情報やら何やらを詰め込んでいる広告、ありますよね。目立つけれど、見る人のことを考えているのかなあ、と。作っている人が喜んでいるだけじゃないのかな、と。広告そのものを「押し売り」している状態のような。

川島:葛西さんが広告の「余白」を意識するようになったのはなぜでしょうか?

葛西:僕がこの業界に入ったのは、もともと広告が好きだったからなんです。70年代ですが、サントリーホワイトの「鮒と白」、「Blue Monday, White Night」とか、サントリーレッドの「ロマンチックが、したいなぁ」のように、“含み”のある広告が活き活きとしていた。見る人に「画面の向こうにあるもの」を感じさせる広告、それに憧れたんです。

川島:「画面の向こうにあるもの」って?

葛西:その広告を見た人が「想像」するであろう何かです。想像とは、個人が自由に描くもの。優れた広告は、見た人の数だけ想像力を喚起させるんですね。

川島:ああ、それで「余白」なんですね。「余白」がなく、情報過多になった広告は受け手が想像を広げる余地がない?

葛西:ええ。広告において、丸出しは禁物です(笑)。

川島:人間も、丸出しはやばいですが、広告も、なんですね。

葛西:大声で「この商品はすごいだろう、いいだろう」と言われれば言われるほど、受け手は「すごいなあ」と納得するよりむしろ「本当かなあ」と引いてしまうのではないでしょうか。そもそも、広告って自慢ですよね。どこかに「嘘っぽさ」をはらんでいるわけです。広告を見る人も、心のどこかで(ちょっと嘘が混じっているよね)と思っている。

 だから広告は、自慢であるということを、ある程度前提にした上で表現しないと、結局、受け入れてもらえない。よくできた面白い広告は、照れというのか、自らを認めた上で作られているものだと思う。

川島:すごいでしょう、という広告は、「広告の持つ嘘っぽさ」についての自覚がない、と。

葛西:広告を作っている人が、そういう前提をわかっているのか。あるいは、商品なり、イベントなり、広告する対象の良さを本当に理解しているのかどうか、声高に言えるだけの価値を、対象物が持っているのかどうか、そういった疑問を抱きながら作っていくことが大事ではないでしょうか。

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