デザインが専門で分かれているのは意味がない

川島:いわゆるデザイン業界と接していて、かねがね疑問に思ってきたのは、建築、グラフィック、インテリア、プロダクト、ファッションといったように、領域が割合と明確に分かれていること。欧米に行くと、空間、プロダクト、グラフィックを全部手がけるデザイナーって、たくさんいるじゃないですか。何で日本は壁を立てちゃうんだろうって。その意味では、オオキさんは欧米型ですよね。

佐藤:デザイナーの中には、自分の専門はここからここまでって決めている人もいらっしゃいますね。でも、僕は独立独歩でやってきたから、そういう分野の区分けがよくわかっていないんです。どこかの企業に勤めたこともないし、師匠についたことがあるわけでもないので。

川島:そういう意味では、デザイン業界でちょっと毛色の違った存在ということ?

佐藤:いまだに業界に知り合いは少ないし、友達ができないので(笑)。デザイナーの方たちとゴハンに行ったりすること、まずないです。人付き合い、あまり得意じゃないんです。しゃべったり教えたりするよりも、デザインをしていたい方ですね。

川島:オオキさん、どうしてそうやって、何でもデザインできちゃうんですか?

佐藤:最初にお話したように、クライアントは課題がわかっているようで、実は違っていることが多いんです。プロダクトの相談に来たけれど、よく聞いていったら販路の問題だった。ブランディングの相談からはじまったのに、その一環でお店を作ることになったということは日常的にあります。そういう時に、もし僕が、専門性を持っていて、その範疇だけしかやらない人間だったら、息苦しいと思うんです。自分で決めた範囲だけだと、そこから出ちゃった瞬間に、自分の仕事じゃなくなっちゃう気がします。

 そもそも「ネンド」という社名にしたのは、nendo=粘土なんです。使い手によってどんな形にもなる。どんな表現もできる。いろいろなものをつなぐことができる。「粘土のように柔軟に」という意味を社名に持たせたんです。それと「ネンド」という言葉は、外国人でも発音しやすいので、海外でのプロジェクトも増やしていきたいと思ってつけました。

川島:だから仕事の領域も、空間、プロダクト、グラフィックと多岐にわたっているわけですね。

佐藤:デザインが専門性で分業されているのは、作り手の視点であって、使い手にとっては、あまり意味がないことだと思います。昔の日本では、建築家やインテリアデザイナーではなくて、大工さんが建物から内装まで、すべて設計し、施工までやっていました。日本の建築において重要だった茶室でさえ、大工さんがすべて作っていたわけです。一方、茶室は何かと考えてみたら、主人が客を「もてなす」場なわけです。だから、「もてなし」の心を理解し、それをかたちにしなければいけない。それくらい高度なデザイン力を大工さんは持っていたし、求められてきた。その大工さんみたいな仕事こそが大事だと改めて思うんです。

 それに、企業にしても、商品にしても、サービスにしても、使い手が最初に接点を持つのはデザインなんです。その意味では、使い手の視点から見たデザインが最も重要なことではないでしょうか。そこから発想しているから、僕はどの領域においても、あえて専門家にならないように心掛けています。

川島:あえて専門家にならないことは、具体的にはどのように役立つんですか?

佐藤:たとえば、ガムという領域は「噛んで味わう」というところで競争している。一方、ミントタブレットという領域は「溶かして味わう」というところで競争している。そしたら、ガムとミントタブレットをつなぐことはできないかと考えてみるんです。噛むのがガムで、溶かすのがミントタブレットなら、噛んでから溶かすということはできないのか。そこに新しい価値、新しい体験があって面白いんじゃないか。これは、ガムを作っている専門家と、ミントタブレットを作っている専門家には、できない発想かもしれません。既にあるものの間にある隙間、そこを見つけてつなぐのは、デザイナーの主戦場のひとつだと思っています。