実力で評価してくれるのがデザイン業界!
佐藤:商才は分かりませんが、それだけじゃ面白くないと思う自分が、どこかにいたんでしょうね。商売がうまくいかなくなったのを機に、勉強もちゃんとやろうと、少し心を入れ替えたんです。
川島:それで結局、早稲田大学理工学部を首席で卒業したんですよね。ちょっと嫌らしい感じもしますが(笑)。そこからデザイナー人生ですか?
佐藤:いえ、そうでもなくて。首席で卒業できたので、そのまま推薦で大学院は古谷誠章先生の研究室に入ったんですが、たまたま友人から頼まれたバイトをきっかけに、人材派遣の会社を始めちゃって。企業に学生アルバイトを派遣する仲介業だったんですが、400人くらいの登録者を保有し、年間数千万円くらいの利益を上げるようになったんです。そのうち、その企業に出入りしている大きな人材派遣会社から買収の話をもらったり、順調に事業が拡大しちゃいました。
川島:あらら、またベンチャーを始めちゃったんですね。
佐藤:ええ。でもやっぱり自分の中のどこかで、お金を稼ぐことが目的になることはしっくりこなくて、やっぱり「デザインをやっていきたい」と思い至ったんです。
川島:ようやくデザインなんですね。どこから始めたんですか?
佐藤:まずは、人材派遣業をやっていた時の幹部と一緒に、毎年イタリア・ミラノで開かれている世界最大の家具見本市「ミラノサローネ」に行ってみたんです。そしたら、街全体が「デザインでお祭り」みたいなことになっている。住人たちも一緒になって、デザインを楽しんでいる。ああ、デザインって閉じた世界じゃないんだっていう感覚が、リアルに湧き上がってきたんです。やわらかく人と人をつなぐのがデザインだって。そしてデザインの主人公はデザイナーという専門家じゃなくて、「ふつうの人」だと思ったのです。
それから「サローネ」で感じたことがもうひとつ。この時、注目されていたデザイナーは、フィリップ・スタルクと吉岡徳仁さんでした。当時、吉岡さんは30歳くらいで、今のように世界で認められる前のこと。巨匠であるフィリップ・スタルクと吉岡さんが、対等に脚光を浴びているのを見て、デザインの世界は実力で評価してくれるところだって思ったんです。
僕が学んだ建築はもっと堅い業界で、先生の下で修行して、実績を作ってから独立して、たとえば50歳くらいでようやく新人賞をとるような世界という印象がありました。デザインは、若くて無名でも作品さえ優れていればちゃんと見てくれる人がいるんだというのがいいなって感じました。
川島:それで一気にデザインの道へ?
佐藤:そうです。「ミラノサローネ」に一緒に行った6人のうちの4人と、「1年やって仕事が来なかったら解散」というルールを決め、デザイン会社を立ち上げたんです。事務所もないので、下落合の実家の車庫にすのこを敷いて、ちまちまとデザインしていました。
川島:オオキさんにも、そんな時代があったんですね。
佐藤:それで、翌年の「ミラノサローネ」に出展したんです。新人が集まっている「サテリテ」というコーナーに、花瓶とか照明器具とかリモコンとかを出しました。そしたら賞をもらったり、雑誌が特集記事を組んでくれたり。
川島:やっぱり凄い才能があったんですね。
佐藤:いえ、そうじゃなくて、学生時代はいろんなコンテストに出しても、みんな一次審査で落ちていたんです。それはもう見事なまでに。それがなぜか「ミラノサローネ」では高評価を得ることができた。今、振り返ってみると、自分たちで「1年」と締め切りを設定して覚悟を決めてやったのが、良かったのかもしれません。
川島:そこからオオキさんのデザイナーとしての仕事が始まった。予想以上に波乱万丈です。
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