「仕事が来なければ1年で解散」と決めてました
大人気デザイナーが語る「デザイン」と「経営」(佐藤オオキさん、第1回)
「ネンド」は、企業のブランディングをはじめ、空間、製品、広告、プロモーションなど幅広い活動を展開しているデザイン会社です。率いているのは、デザイナーの佐藤オオキさんと、マネージャーを務める伊藤明裕さん。設立当初からのコンビで、二人の絶妙な会話がやりとりされるインタビューは軽妙で楽しい。しかも、狭い領域のデザインにとらわれず、枠組みを越えた発想についての話は、どんどん広がっていくのです。
特にここ数年、佐藤オオキさんは、雑誌やラジオなど、マスコミへの露出も頻繁で、今や売れっ子デザイナーの筆頭にいると言っても過言ではありません。
デザインはビジネスにどう活かせるのか。
デザインを通して経営トップとどうかかわるのか。
これからデザインという仕事はどう形態を変えていくのか。
ネンド流の「デザイン」と「経営」について、うかがいます。
佐藤オオキ氏
nendo(ネンド)代表。
1977年カナダ生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修了、同年、ネンドを設立。2005年にはミラノオフィスを設立。06年にはニューズウィーク誌の「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれる。
コカ・コーラやルイ・ヴィトンから大正製薬やロッテ、日清食品など国内外にクライアントを持ち、プロダクト、 グラフィック、インテリアから建築と多岐に渡ってデザインを手掛ける。
作品はニューヨーク近代美術館のほか、パリ装飾美術館、英ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館など世界の美術館に収蔵されている。
日本のグッドデザイン賞を11作品で受賞。そのほかエル・デコ誌の賞を最年少で受賞するなど、各国のデザイン賞を受賞。「佐藤オオキのボツ本」(日経BP社)ほか著書も多数。(写真=大畑陽子、以下同じ)
大学時代に数千万円稼いでました。
川島:佐藤オオキさんと言えば、国内はもとより、世界で名を馳せている有名デザイナーのひとりです。子供の頃からデザインに興味があったのですか?
佐藤:いえ、子供の頃は、近所の白樺林に行って、ひたすら木の皮を削っていました。
川島:白樺林?
佐藤:ええ。父親の仕事の関係で、カナダ・トロント生まれで、近所に白樺林があったんですね。白樺のあの白い皮を一本一本削って、普通の森にしたいなとなぜか思ってた。その作業を一人ぽっちでやっていたんです。友達も誘ったんですが、誰も面白がってくれなくて(笑)。
川島:かなり変わったご趣味ですね。では、その後、大きくなってからデザイナーになりたいと思ったんですか?
佐藤:いえ、全然ですよ。高校は日本に戻って、早稲田学院に通っていたんですが、ボート部に籍を置いていて、毎日ひたすら猛練習。角刈りで真っ黒な風体で、デザインとはまったく無縁な生活を送っていましたね。ただその時、今にいたるまで長年の仕事のパートナーとなった伊藤と出会ったんです。その後、高校を卒業して早稲田大学に進むわけですが、どの学部がいいかわからず、とりあえず理工学部の建築学科にしたんです。ところが、周囲は建築家になりたい人ばかりでみんな燃えている。僕は特に何の目標もないから、これはもう無理、ついていけない、と思って、大学2年の時に、バイトで貿易会社を始めたんです。
川島:えっ、起業ですか?
佐藤:僕、一応帰国子女ということもあり、通訳のバイトをやっていたところ、ある貿易会社の通訳をしている時に、間に入っていた商社がつぶれてしまって、「じゃ、お前やってみたら」と貿易会社の人に言われて、流れで商社みたいな仕事を始めたんです。そしたら、何だか割合とうまく行っちゃって。
川島:何の商社をやっていたんですか?
佐藤:中国の外交部というところが取引先で、そこに日本のものを卸す仕事だったんです。中国に行ったら、みんながガラス製の水筒を首から下げてお茶を飲んでいるんです。それを見て国内の水筒メーカーに電話して、「中国に進出していますか」と聞いたら「まだ」ということで、在庫を全部買い取って輸出したところ大ヒット。そんな折に、高田馬場を歩いていて、偶然、伊藤に再会したんです。
伊藤(ネンドマネージャー) 久しぶりに話してみたら、自分が当時一番興味があったビジネスで「面白いことやってる」って言うわけですよ(笑)。で、聞いたら、大学2年生で年間数千万も売り上げていたんですよ。
川島:年間数千万円!
佐藤:はい。楽しくて、ちょっと調子に乗っちゃったんです。そしたら大失敗! 中国の人たちが竹ぼうきで掃除しているのを見て、清掃用具メーカーに電話してシートを付け替えるタイプのモップ商品を輸出することにしたんです。でも、シートを付け替えるという仕組みが中国の人たちに気に入ってもらえなくて。ケアせずに使い続けられる竹ぼうきに比べ、お金はかかるし面倒だと。あまりに売れなくて、物凄く落ち込みました。
川島:それだけ商才があったのだから、そっちの道で企業家になる手もあったのでは?
実力で評価してくれるのがデザイン業界!
佐藤:商才は分かりませんが、それだけじゃ面白くないと思う自分が、どこかにいたんでしょうね。商売がうまくいかなくなったのを機に、勉強もちゃんとやろうと、少し心を入れ替えたんです。
川島:それで結局、早稲田大学理工学部を首席で卒業したんですよね。ちょっと嫌らしい感じもしますが(笑)。そこからデザイナー人生ですか?
佐藤:いえ、そうでもなくて。首席で卒業できたので、そのまま推薦で大学院は古谷誠章先生の研究室に入ったんですが、たまたま友人から頼まれたバイトをきっかけに、人材派遣の会社を始めちゃって。企業に学生アルバイトを派遣する仲介業だったんですが、400人くらいの登録者を保有し、年間数千万円くらいの利益を上げるようになったんです。そのうち、その企業に出入りしている大きな人材派遣会社から買収の話をもらったり、順調に事業が拡大しちゃいました。
川島:あらら、またベンチャーを始めちゃったんですね。
佐藤:ええ。でもやっぱり自分の中のどこかで、お金を稼ぐことが目的になることはしっくりこなくて、やっぱり「デザインをやっていきたい」と思い至ったんです。
川島:ようやくデザインなんですね。どこから始めたんですか?
佐藤:まずは、人材派遣業をやっていた時の幹部と一緒に、毎年イタリア・ミラノで開かれている世界最大の家具見本市「ミラノサローネ」に行ってみたんです。そしたら、街全体が「デザインでお祭り」みたいなことになっている。住人たちも一緒になって、デザインを楽しんでいる。ああ、デザインって閉じた世界じゃないんだっていう感覚が、リアルに湧き上がってきたんです。やわらかく人と人をつなぐのがデザインだって。そしてデザインの主人公はデザイナーという専門家じゃなくて、「ふつうの人」だと思ったのです。
それから「サローネ」で感じたことがもうひとつ。この時、注目されていたデザイナーは、フィリップ・スタルクと吉岡徳仁さんでした。当時、吉岡さんは30歳くらいで、今のように世界で認められる前のこと。巨匠であるフィリップ・スタルクと吉岡さんが、対等に脚光を浴びているのを見て、デザインの世界は実力で評価してくれるところだって思ったんです。
僕が学んだ建築はもっと堅い業界で、先生の下で修行して、実績を作ってから独立して、たとえば50歳くらいでようやく新人賞をとるような世界という印象がありました。デザインは、若くて無名でも作品さえ優れていればちゃんと見てくれる人がいるんだというのがいいなって感じました。
川島:それで一気にデザインの道へ?
佐藤:そうです。「ミラノサローネ」に一緒に行った6人のうちの4人と、「1年やって仕事が来なかったら解散」というルールを決め、デザイン会社を立ち上げたんです。事務所もないので、下落合の実家の車庫にすのこを敷いて、ちまちまとデザインしていました。
川島:オオキさんにも、そんな時代があったんですね。
佐藤:それで、翌年の「ミラノサローネ」に出展したんです。新人が集まっている「サテリテ」というコーナーに、花瓶とか照明器具とかリモコンとかを出しました。そしたら賞をもらったり、雑誌が特集記事を組んでくれたり。
川島:やっぱり凄い才能があったんですね。
佐藤:いえ、そうじゃなくて、学生時代はいろんなコンテストに出しても、みんな一次審査で落ちていたんです。それはもう見事なまでに。それがなぜか「ミラノサローネ」では高評価を得ることができた。今、振り返ってみると、自分たちで「1年」と締め切りを設定して覚悟を決めてやったのが、良かったのかもしれません。
川島:そこからオオキさんのデザイナーとしての仕事が始まった。予想以上に波乱万丈です。
おしゃれもグルメも基本的に興味なし!
川島:オオキさん、デザイナーがいちばん大事にしなくてはいけないことって何ですか?
佐藤:僕の場合は「透明であること」です。だから、自分の家には何も置いてないし、服にも興味がないし、デザイン以外のことは、まったく気にしない生活を送ってるんです。
川島:スタイリッシュな家に住んで、ゴージャスな生活を送っていると思っていたのですが。でも「透明であること」とは、◯◯スタイルが好きみたいな偏ったこだわりを持たないこととも言えます。
佐藤:そうかもしれません。僕は四六時中、デザインのことばかり考えているので、趣味と言えるものは何もないし、自分の時間といったものもほとんどない。休みの日だって家からほとんど出ないで過ごしています。やることと言ったら、寝るか、飼っている犬と遊んでいるか、仕事をしているか、ちょっと引きこもりみたいです(笑)。
川島:傍から見ていて、有名デザイナーだから、きらびやかな生活を送っているって思っていたので意外です。
佐藤:服もこうと決めていて、下着からアウターまで、全部「ユニクロ」なんです。かれこれ10年くらい「ユニクロ」一辺倒。白いシャツは50枚くらいは持っているんじゃないかな。それはなぜかというと、まず世界のどこに行っても手に入ること。ニューヨークにも、ロンドンにも、パリにもある。それと、これは「ユニクロ」に限らないことですが、同じものを揃えておいて、何も考えずに着られるのがいいんです。おしゃれなコーディネートとか考えるの、物凄く苦手だし、そういうことに、あまり時間を割きたくないんです。
川島:ゴハンはどうしているんですか、食べるものへのこだわりは?
佐藤:ないですね。食べるのも面倒! 食べ過ぎると、ぼーっとしちゃって仕事できなくなるので、あんまり食べないようにしています。それで、よく行くのは近所のそば屋、そばって何も考えなくていいじゃないですか。おかずがたくさんあると、どの順番に食べようとかって考えなきゃいけないのが面倒くさい。でも、そばなら丼の中にはそばしかないから。
川島:ちょっとおかしな理屈、という気もしますが(笑)。それだけ仕事が好き、デザインが好きってことですね。そしてそれが、オオキさんが言うところの「透明であること」にもつながっていると。
佐藤:そうです。毎日、同じ色カタチのシャツを着て、同じそばを食べ、同じ散歩コースを歩く。常に同じパターンを繰り返すのは、僕自身の調子を落とさないためでもあります。体調も感情も、起伏の上下があまりないようにして、ここぞっていく時にはギアが上がるように心がけているんです。そうやって「透明であること」によって、何かに出会った瞬間に、すぐに色が付いちゃう。それが、僕の持っている唯一の取り柄じゃないでしょうか。たとえば、マグロ漁を依頼されたら、すぐマグロのファンになって、どうやったら漁で結果が出せるかを、ずーっと考えちゃう。つまり、来たものは全部好きになる。それが僕の特殊能力だと思っています。それと、透明でフラットな視線を持ち続けるために、「適度にバカ」であろうとすること。これも大事なことです。
川島:適度にバカって、また難しい話ですが。
佐藤:利口であること、知識があること、失敗しないように考えること、いずれも新しい視点や新しい価値を見出す時に、邪魔になることだと考えています。
アイデアは、毎日のように出会ったものに対して「はじめまして」と向き合うことから始まるので、透明でフラットな姿勢は不可欠だと考えています。
だから「適度なバカ」です。そうやって「アイデアが浮かばない状態にならないように」、僕なりに工夫を重ねて生きていますね(笑)。
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