(前回から読む)
「匠からオタクまで」の“振り幅”が日本
川島:新宿にある「ビームスジャパン」を、この度、全面改装されました。訪れてちょっと驚いたのは、世界中の良いものを紹介してきたビームスが、今度は“日本”を切り口に、ファッション、プロダクツ、カルチャー、飲食まで、まさにライフスタイル全般にわたる“THE JAPAN”プロジェクトを発信する場を作ったことです。これだけ真正面から“JAPAN=日本”と向き合ったのは、ビームスでも初めてのことじゃないですか。

1951年 東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、1975年 株式会社電通入社。プロモーションディレクター・イベントプロデューサーとして数々のヒットを飛ばす。1976年 「ビームス」設立に参加。1983年 電通退社。自らをプロデューサーと位置付け、その独自のコンセプト作りによりファッションだけでなく、あらゆるジャンルのムーブメントを起こし、セレクトショップ、コラボレーションの先鞭をつけた。(撮影:鈴木愛子、以下同)
設楽:僕は1951年生まれ。男の子なら米国のニューヨークやロサンジェルス、女の子ならパリに憧れて育った世代なんです。ものも情報もなかったから、「日本に入っていないけれど、これって凄くかっこいい」ものを紹介するのが、ビームスの役割だと思ってやってきた。ところが今は、ものも情報もあふれ返っている。だから逆に、間口を“JAPAN”に絞って紹介することも、新しい役割のひとつと思って取り組んだのです。
川島:アメリカに憧れていたビームスというスタートからすると、まったく逆の視点ですね。
設楽:ビームスを始めた時から、ずっと欧米に憧れ、海外のいいものを見てきたわけですが、10年前くらいから、日本にも良いものがたくさんあるのに、灯台下暗しだと気づいたのです。
川島:何か転機になるようなことがあったのですか?
設楽:ロンドンのサヴィルローのビスポーク・テイラーに行って、100年前のシャツの生地見本を見せてもらうと、日本製の極上のシルクが貼ってある。コンランショップが選んだ生活雑貨の中に、日本の曲げわっぱが並んでいる。そういったことを、海外で経験することが度重なり、かっこいいものって日本にもたくさんあると感じ入ったのです。それで、ビームスとして、日本のモノ作りの確かさや、日本人ならではのセンスやウィットに光を当てて、世界に向けて“JAPAN”を発信していこうと思うようになりました。
川島:ここ数年、“JAPAN”はひとつのブームになっていて、さまざまなところでお店が増えています。そんな中、設楽さんが提案するビームスらしい“JAPAN”とは?
設楽:コンセプトは「匠からオタクまで」なんです。ビームスらしいフィルターって何だろうと考えた時に、“振り幅”の大きさではないかと考えたのです。たとえば、日本の技術とか手仕事といった「匠」だけを取り上げている店は、他にもあると思います。一方、日本ならではのニッチなオタク文化を取り上げているところも、秋葉原とかにたくさんあります。
でも、両方をやっているところって、あまりないのではないでしょうか。昔からビームスは、独自のフィルターを通してものを選ぶところに“らしさ”があったわけですから、“JAPAN”という切り口においても、それを大事にしようと考えた。それが“振り幅”ということです。
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