(前回から読む)
『ポパイ』には編集会議はなかった
川島:都築さん、もともとはマガジンハウスの「ポパイ」の編集者だったんですよね。
都築:そう。1976年から10年くらい、社員じゃなくて大学生時代にアルバイトから入って、そのまま大学卒業してからもずーっと編集者をやっていました。
川島:ということは、まさに創刊からですね。その頃の雑誌作りってどんな風だったんですか?
都築:他の雑誌のことはわからないけど、「ポパイ」の編集部は凄く楽しかったですね。他のみんなが読んでいる雑誌とは違うものを作りたいという意識がみんな強かったから。それで、編集部で決めたことがいくつかあったんです。
まず、若い女の子のグラビアは出さないと。それからクルマのことはやらない。当時の大半の男性誌は、若いもん向けからおじさん向けまで、男の関心事と言えば、「女とクルマとセックス」って考えているおっさんたちの手で作られていたからです。じゃ、そっちはやめておこう、と。
都築響一
1956年、東京生まれ。76年から86年まで「ポパイ」、「ブルータス」で現代美術や建築、デザインなどの記事を担当。89年から92年にかけて、1980年代の世界の現代美術の動向を網羅した全102巻の現代美術全集『アート・ランダム』を刊行した。自らカメラを手に、狭いながらも独創的な東京人の暮らしを撮影した『TOKYO STYLE』や、日本全国の奇妙な名所を訪ね歩く『珍日本紀行』の総集編『ROADSIDE JAPAN』で、既存メディアが見たことのない視点から現代社会を切り取る。97年に第23回・木村伊兵衛賞を受賞。97年から2001年にかけて、アマチュアの優れたデザインを集めた写真集『ストリート・デザイン・ファイル』全20巻を刊行。その後も現在に至るまで、秘宝館やスナック、独居老人など、無名の超人たちに光を当て、世界中のロードサイドを巡る取材を続行中。(写真:大槻純一)
川島:今までにない雑誌を作るってことに対して、社内の上司、つまりおっさんたちは反対しなかったのですか?
都築:今思うと、当時の編集長は40歳くらい。おじさんです。新しいことを提案しても、普通は「わからないからやめとけ」ってなるじゃないですか。ところがその編集長、たいしたもんで、自分がわからないことも、編集の部下たちの思うがままにやらせてくれたんです。「編集の皆がそんなに面白がっているんだったら、俺わかんないけど、20ページやるから作ってみろ」みたいな感じで。
川島:すごいですね。いまだったら、編集会議を延々やってつぶされちゃいそうな。
都築:普通だったら、わかるように説明しろという話になるでしょう? でも、説明って結局、データが必要で、今の若者たちの何パーセントが興味を持っているとかになってくる。
でも、データが集められるテーマって、要するに既に誰かがやっている過去の話なんです。その時点でもう遅いわけです。僕らが作る「ポパイ」って雑誌は、誰もやっていないことをやるんだから、データ化できるような分野にテーマがあるわけはない。
川島:言われてみればその通りですけど、「現場にいない上の人」はたいがい「データで論拠を示せ」と言いがちです。
都築:そもそも新しいことって「既に面白いってわかっている」からやるわけじゃないですよね。まだ誰もアプローチしてないからこそ新しいんだから。とりあえず「面白そう」だからやってみるんです。
誰かが取り上げたものは、それなりに内容がわかっている。けれども、誰もやっていないものは、内容がわからない。自分でドキドキしながらやってみる。そこがまず「面白い」わけじゃないですか。で、わからないなりに作ってみてはじめて、「ほら」って人を驚かせることができる。そういうことって作る前に説明しても意味がない。説明できないし。だから、新しいことをやる現場に「理解力のある上司」なんていらない。
川島:えっ、理解力、なくていいんですか?
都築:だって理解できなくて当然だもん。データで説明できないのが新しいことだから。そもそも当時の「ポパイ」には、編集会議ってなかったんです。
川島:編集会議がない! じゃあ特集なんかも会議なしで?
都築:うん。編集長に「今度こういう企画やりたいんですけど」「いいんじゃない」「じゃ、やります」でおしまい。
川島:すごい話だ。でも、特集の中身次第で、雑誌って売れたり売れなかったりってあるじゃないですか。都築さんが担当した特集の号が売れなくって、編集長から叱られること、なかったんですか?
都築:当時は、雑誌の売れ行きの数字って1週間くらいで出てきたんです。それが毎週、営業から編集長に届けられるんですが、その数字を編集長は絶対に僕たちに見せなかった。完売しても褒められなかったけど、売れなくても怒られなかったんです。
川島:なんてかっこいい……。
都築:編集長に怒られるのは、売れなかった時じゃなくって、企画を出した時に「お前、この企画、ほんとに面白いと思って出してるのか」と聞かれて、つい「えーと、まだ誰もやってない企画なので、読者が面白いと思うか、売れるかどうか、ちょっとわかりません」なんて気弱な発言をしちゃった時。
「おい、読者の顔色なんてうかがうんじゃない。ほんとに面白いと思ったものだけ、とことん行け。売れなくて頭下げるのは、こっちの仕事だから、お前が面白いって心底思わないんだったらやるな」って怒られた。その編集長から教わったのは「読者層を想定するな、マーケットリサーチをするな」ということ。自分の知らない誰かのためでなく、自分のリアルを追求しろと。
マーケティングより「自分のリアルを追求しろ」
川島:「自分のリアルを追求しろ」ってどういうことですか?
都築:結局、自分が心底ものすごく面白いと思ったことは、他にもどこかに同じように面白いと思ってくれる人が必ずいるということ。なぜかというと、その面白さは自分の内なるリアルから出てきている切実なものだから。そういう切実でリアルな面白さは、どこかにいる誰かがきっと共有してくれるんです。
その共有してくれる誰かは25歳の独身女性かもしれないし、65歳のおじいさんかもしれない。そこにいる誰かは「ひとりひとりの読者」であってF1だのM1だのといった「読者層」じゃないんです。
川島:わかります。わかりますけど、そう言ってくれる上司ってなかなかいない。度量が大きい編集長だったんですね。でも、だから「ポパイ」って面白くって大ヒットしたんだよなあ。
都築:僕の場合、それが最初の「上司体験」だったから、雑誌の編集ってそういうものだと思っていたんです。編集部員が個人のリアルな面白さを追求すれば、雑誌は面白いくなるって。でも、マガジンハウスを出て「ポパイ」から離れて、他社の雑誌と付き合うようになって、ほとんどすべての他の雑誌は違うってことを知りました(笑)
川島:雑誌に限らず、大半の企業で新しいことをしようと思ったら、まず企画書を作り、会議でそれを説明して承認を得る。その手順をたくさん踏んで、物事を進めていくのが常道です。でも、そうやって企画書を練っていくうちに、最初に「こういうことやったら面白いんじゃないか?」と自分の中で思いついたアイデアが、どんどんつまらなくなっていくんですよね。
都築:すっごくよくわかる。
川島:結局、会議っていうのは組織と上司の「リスクヘッジ」でもある。みんなで決めるから、失敗しても「みんなでいいって言ったよね」みたいな言い訳のために存在する、という側面がある。ダメな会議は集団責任回避システムに過ぎないと思うんです。それに、みんなの総意になるから、はみ出ていく面白さみたいなのがどんどん削られて丸くなっちゃいますよね。そんなことしている間に、どんどんアイデアの鮮度は落ちていく。
都築:プロは「みんなでやる」んじゃなくて、自分の得意分野ごとに責任を分担しなくちゃダメだと思うんです。「営業の意見」とか「市場調査」なんて関係ない。編集者だったら全力でベストの記事、最高の本を作って印刷に回す。営業はそれを全力で売る。いい本ができなかったら、編集者が責任を取る。誰が見てもいい本なのに売れなかったら、営業が責任を取る。それがプロの覚悟ってものだと思うんです。難しいことなんか何もない。
高給取りに限って文句が多い
川島:確かに会議に出ているだけで、かえってプロとして責任範囲が曖昧になるってことありますね。「企画が会議を通らない」とか「上司に理解がない」っていう話、大企業の人と話しているとよく聞かされるんです。それで、「仕事、面白くないです」って愚痴になる。都築さん、どうしたら仕事は「面白く」できるのでしょうか?
都築:えーと、僕だったら、まず本当に自分が「好き」で面白がった企画なのかどうか、を考えますね。それで、どうしてもその企画がやりたかったら、とにかくやっちゃえ、です。会社で通らなかったら、会社を辞めて他でやればいい。
川島:えーと、そこまで思いきれない、つまり辞められない場合は。
都築:仕事で「面白い」を諦めて大企業のサラリーマンをやってればいいんです。だいたい大企業に勤めているっていうのは給料がいいわけでしょ。給料がよくって、その上、仕事も面白くしたい、なんて強欲すぎますよ。面白いことを自由にやるっていうのは、いろんなリスクを背負っているわけだから。たくさんの人が勤めていて給料も高い大企業の仕事が、「面白くない」のは宿命みたいなもの。美味しいとこ取りはないですよ(笑)
川島:うーん。そうですね。そう言われると何も言い返せない……。
都築:高給取りに限って文句が多いんです。「仕事がつまらん」とか「やりがいがない」とか。給料高いからいいじゃん。面白いことは仕事以外で見つければいいのよ、そういう人は。
仕事が好きでやってるケースを紹介すると、たとえばこのジャンルが飯より「好き」っていう人が少人数で作っている専門誌って、めちぇめちゃ面白いわけです。トラックを満艦飾みたいに飾るデコトラの雑誌とか、見たことありますか。これがもう、ものすごく面白い。それはどういうことかと言うと、「好き」なことが決まっていて、編集部の各自が「好き」にやっているからだと思うんです。アイドル雑誌なんかも、仕事はきついは給料は安いはで超過酷な現場だけど、編集部の誰も文句言ってない。アイドル大好き!が根っこにあるから。
三菱地所相手に「企画書」なしで丸ビル唯一のスナック作りました
川島:都築さんは、編集というお仕事の他にお店を作ったりもしています。90年代に一世を風靡したディスコ「GOLD」もそうだったし、新丸ビルの中の「スナック来夢来人」もそうですね。
都築:どれも新しい本を作る時と同じです。「こういうお店が欲しい→なのにない→しょうがないから自分で作ろう」というところから始まったもの。
川島:ほんとだ。お店を作る時も「しょうがない」が出発点なんですね。
都築:その意味では、取材して原稿を書いたり、本を作ったりするのと同じ理由なんですよ。やり方もいっしょ。たとえば芝浦の「GOLD」や恵比寿の「MILK」みたいなクラブを作った時、コンセプトはもちろん考えるけど、いわゆるマーケットリサーチとかは1回もしない。「企画書」というものも書いたことがないんです。
川島:えー! それでよく企画が通りますね。どうやってお店を作っているんですか。
都築:まず、「僕はこんな感じの店にしたい」と関係者に説明をするわけです。「GOLD」の時は、建築家に説明するために、超短編小説みたいなものを書いたんです。背景にはこういう町があって、入っていくと音が鳴り響いている空間でみたいな話を。それを建築家に渡したんです。
川島:なんだ、何も書かないかと思ったら、パワーポイントで企画書を書くよりも、はるかに手間をかけているじゃないですか! 建築家にしてみたら、無味乾燥な企画書に文字や図がびっしり書いてあるより、都築さんの描いた短編小説の方が、空間イメージがつかめるんでしょうね。新丸ビルに女性客限定の「スナック来夢来人」を作ったときも、企画書はなかったんですか?
三菱地所の偉い人たちとスナック巡りをしました
都築:もちろん作りませんでした。新丸ビルは三菱地所の物件で、「来夢来人」は、恐らく三菱地所が作った最初で最後のスナックだと思います。企画書は作らなかったけど、かわりにスナック留学をしました。三菱地所の偉い人たちは、スナックなんて作ったことないから、みんなでスナック巡りをしたんです。錦糸町とかいろいろ行って、ソファはこういう別珍が貼ってあって、ライティングはこんな感じでとか。企画書で説明するより、圧倒的にリアリティがあるでしょ。
川島:三菱地所相手に企画書なしで仕事を通しちゃったのも都築さんが最初で最後かも。私も「来夢来人」大好きです。4人くらい座れる小さなカウンターがあって、深紅のビロードが貼ってあるボックス席があって、熱帯魚が泳いでいる水槽があって。
ビジネススーツにネクタイのバーテンさんが水割りを作ってくれる。高層ビルの一画に、まさに町中のスナックが出現した感じ。しかも女性限定だから、すごく安心できる。しかも不思議なことに、丸ビルの中の周囲のテナントのお店とも馴染んでいるんですよね。
都築:「来夢来人」はオープン以来ずっと客が絶えないらしいんです。あえて女性限定にしたのは僕のアイデアで、お客さんは近隣の丸の内のキャリアウーマンの方々が中心。ただ、僕は知らなかったのだけど、彼女たちの多くがどこに勤めているかというと、外資系の投資会社やコンサルティング会社らしいんですね。
川島:そうなんですか!
都築:そう。日本のキャリアウーマン界の頂点に君臨している女性たちが中心顧客、らしいんですね。そんな凄腕の女性たちが連れ立ってこのスナックに来て、いきなりはじけてカラオケで歌い上げたりしているわけ。
「来夢来人」は朝の4時までやっているんですが、朝帰りのお客さんもけっこういる。一晩中踊ったり歌いまくったりして、でも翌日の朝8時には、きちんとお化粧して出勤して、男性の部下を使ってばりばり仕事している、たぶん。
川島:彼女たちにとっては「来夢来人」が、仕事のあとの「面白い場所」なんですね。今度、私も付き合いたい。けど、朝型だから夜9時すぎると眠くなっちゃうんだよなあ。
都築:夕方から呑みにくればいいんですよ(笑)
*5月23日公開の「今の時代、センスと行動力なしに勝負できない」に続く
Powered by リゾーム?