川島:なるほど、そう考えると「衣装としてのデザイン」も大事なことですね。

糸井:衣装に見えるものが、街に与える影響っていうのもあって、それは「生きる舞台」が「都市計画」につながっていくこと。それはそれで素晴らしいゲームだと思うんです。

川島:考えてみたら、糸井さんのお仕事は全部、「生きる舞台」を作ることであり、「心」に触れるものと言えます。

クリエイティブの成果物はすべて「コンテンツ」です

糸井:「ほぼ日」では、クリエイティブの成果物としてできたものは、すべて「コンテンツ」と読んでいます。モノであっても、コトであっても、文章であっても、すべてにおいて、商品のコンテンツとか、対談のコンテンツとか、全部を「コンテンツ」という言葉を使っています。そして、そのコンテンツを作るにあたって、根っこにあるデザイン、つまり僕が言っている「魂」とか「心」とか、そういうものを目いっぱい込めているわけです。

川島:企業としてやっているのだから、その「魂」や「心」は、どこか先のところでビジネスにつながっていくんですよね。

糸井:そうでなければいけないですよね。「コンテンツ」はそのために存在しているし、たくさんの価値を作っていかなければならない。そしてその中に、商売っ気たっぷりに生み出される「コンテンツ」もあると思います。

川島:たとえば、著名なブランド名が、ロゴとしてバーンと入っているコンテンツもありということですね。ヒストリーを背負っている衣装を、商売のネタとして上手く使う。そういうコンテンツもありなのでしょうか。

糸井:「ほぼ日」で扱うかどうかは別にしてですが、当然ありです。それと、服をたとえにしてもう少し言えば、すごく薄い布でできていて「透けて見えるんじゃない?」というコンテンツがあったとして、それを着ている人の「心」には、「セクシーに見せて異性の関心を惹きたい」というのもあるかもしれないけれど、「私というものの何か中身を見せたいから」というのもあるじゃないですか。

川島:着る人の意図が、ある部分においては、作った人の「魂」や「心」というコンテンツと一致していない場合もあると。

糸井:あります。でも、一致していないところの嘘も含めて、いい小説が書かれるように、その人によって語り継がれていくわけです。その場合、フィクションも立派な「コンテンツ」となって、「魂」や「心」になっていきます。物語を知ることっていうのは、何かを強めてくれたりもするけど、もっと大事なことは「魂」の部分なんです。

川島:作る人と使う人が、そうやってつながっていく。つなげるのは「魂」や「心」ということ、腑に落ちます。

糸井:ただ、本質的にピュアであり、混沌の中にあって、というやりとりだけで、デザインを語ってしまうのもどうかなと思っています。そこだけでは、ブランドやデザインというものを語りつくせないわけで、「流行において」とか「商売において」というところにあって、「いい分量でカモン?」というのも、言っていく必要があると思っています。

川島:なるほど。ブランド論って、歴史ある企業が堅持してきた聖域みたいな文脈がある一方で、熾烈な資本主義競争で勝ち残る最強のノウハウみたいな文脈もある。

糸井:だから、聖と俗は、あるいは生と死は、本当は一体みたいな、そういう大矛盾を孕んだところに、人間のやるせない表現があるんです。

川島:ブランドやデザインについて、深く語っていくと、結局、そういう話に行き着きますね。

糸井:人間観とか世界観が出てしまうことだと思うんです。川島さんだって、デザインということについて、ナメたことを言われたくないんですよね。

川島:そうなんです。とても大事なことだから、ナメた扱いをして欲しくない。でもしつこく言いますけど。企業の中で、ナメた扱いが多いんです。

糸井:ただ、負けるが勝ちっていうこともあるし、煙に巻いている状態がいいことだってあるんです。一発殴るもありだけど、抱きついちゃったら解決することだってある(笑)。だから川島さん、ラグビー見るといいですよ。

川島:またまたラグビーに行っちゃうんですか。私、実はラグビーがちょっと苦手で。あのムキムキした肉体がぶつかり合う姿がちょっと。

糸井:苦手だって思うところには、なぜ嫌いかという理由があるはずで、そこにきっと、糸口があるのだと思います。「なぜ?」って思いながら見に行くと、たいていのものを好きになれますよ。僕だって、そういう努力をしているんです。

川島:本当かなぁ。でも糸井さんにそう言われると、なぜか説得力があります。じゃあ、会社から競技場近いし、ラグビー、見てみますね。

糸井:何だったら、お連れしますよ(笑)。