糸井:となると、「デザイン料というのは、生きる舞台を作ること料なのかよ」ってなる。だったら、デザインって仕事自体をもっと大きく考えてほしい。これ、僕がコピーライターという職業をしていた時に、コピーという仕事についても同じようなことを考えたことがあるんですよ。何というか「いいコピーを書きたいんですよね」という人のちっちゃさに腹が立っていた(笑)。

川島:「いいコピーを書きたい」コピーライターはちっちゃい!

糸井:そういう人には「君は何をしているんだ?」と聞きたい。コピーもデザインもそれ自体がうまくなりたい、というのは「剣の達人でありたいです」みたいな発想です。でもデザインを考える時に、いちばん最初に捨ててほしいですね、その考え方。

川島:本来のデザインって、深く広く、志は高く。とても難しいけれど、やりがいがある役割を担っている。でも、企業の中にいると、何かデザインの価値って軽視されていることが多いんです。色やかたちと表層的にとらえている人もいるし。そもそも、デザインってものが、物差しを当てたり、理屈をつけたりするのが難しい領域なんです。

糸井:そういう場合、「ライフを乗っけるものを失くしてでも、あなたは何かができると思っているんですか?」と逆説的に質問してみるのがいいんじゃないかなあ。

川島:そういう手があるわけですね。今度、使ってみます。

衣装を変えたら、なんでも売れるんじゃないかという幻想

糸井:それって「デザインとは、いわば衣装みたいに上から羽織るものだから」と思っている人にとっては、理解するのがむずかしいでしょうね。

川島:道は遠いなぁ。

糸井:「あの人がデザインしているんですよ」ということを、もうちょっと分からせる手もあるんじゃないでしょうか。つまり、仮にアフリカに鉄道を敷いた人が伊藤忠商事にいたとしたら、その仕事はデザインですよね。鉄道を敷いていくプロセスそのものの中にデザインが宿っているんです。

 設計図の上では、ここからここまで鉄道を敷いたという線を引けばいいことだけれど、現実には「ここは部族が違うから、実際に鉄道を延ばしていくと、諍いがあるかもしれない」なんてことまで考えた上で、鉄道を敷いていく。そういう現場をやっている人がいれば、その仕事全体が、既に立派なデザインなんです。

川島:それくらい包括的な概念で、デザインをとらえられたらいいなと思います。ともするとデザインって、さっき糸井さんがおっしゃったみたいに「きれいな衣装を羽織ること」みたいなところで止まりがちだから。

糸井:確かに。衣装を変えたら、つまんないものでも売れるんじゃないかという幻想、どこかにあると思います。コピーにも同じところがある。コピーライター時代の僕も、「ここで一句」とか言われましたから。

 地方に行った時に、地元の売れていないジャムとかに対して、「糸井さんがコピー書いてくれたらなぁ」とか言われるわけです。でも売れないですよ(笑)。っていうか、売れたら俺が困る。だから言うんです。「そうですねえ、魔法のように売れるんじゃないですかね?」って、それで、商品に問題があるのではってことを言外に漂わせてみたりしました。

川島:意地悪ですねえ。

糸井:(笑)。でも真面目な話、そういう幻想って、とても困るんです。だって製品ができてからお客さんの手に渡るまでに、長い長いドラマがあるわけで。コピーライターは、売るための助け舟を出す役割ですから、どこかで手伝うことはできますが、限界もある。

川島:衣装をとっかえるみたいに、表層的なデザインだけを変えても、根本的なことが変わるわけではないですから。

糸井:良いコピーを作ることと、売れる商品を作ることとは、別の文脈にあるんです。そして、デザインって実は土台になるものだから、そこが崩れちゃっているのに、良いものを着せたら売れるということはないと思いますね。

川島:デザインは、表層的な衣装じゃなくて、最も大事な土台。

糸井:デザイン=衣装という考え方についてだって、それは何かと言ったらもっとある。一見すると衣装に見えるものは、土台のところには、衣装によって表現されている「魂」があるわけで。だから、どう見せたいのかというところ、何を感じて欲しいのかというところ、社会から見てどういう反応があるのかというところ、そこを想定した上の衣装なんです。

 つまり、その衣装を着た人が、踊る舞台を想像して作るべきものなんです。やっぱり、大元のところにあるのは、「生きる舞台」であり「心」ですよね。