糸井:完成形はないけれど、方向性はありますね。こっちが「いい方向」だということを意識しながら、作っていく感じです。
川島:「いい方向」って、どういう風にわかるんですか?
糸井:どっちに行くかというのを、無意識で探しています。どこに行くんだろう、と力を抜いて。そして、ちょっと何か良さそうだなと感じる時がある。方向が見えたら、そっちの方向に必ず行くことにしています。見えるような気がするというだけでも、近づいてみる。
間違いのない完成図を求めちゃダメ
川島:そんなにゆるっとした感じで見つかるものなんですか?
糸井:一本橋を渡る時も、足元を見ていたら絶対に渡れない。視線を遠くに定めておけば渡れます。そういうのを「夢」っていう人もいるかもしれない。「夢」じゃなくて「視線を定める」と考えると、未来に何をするか、もっと具体的に見えてくるかもしれません。
川島:糸井さんが過去に「視線を定めた」体験、教えてください。
糸井:1990年代後半、インターネットの世界に入る時、そして「ほぼ日」を作る時がそうでした。当初はインターネットで仕事するとは思っていなかったけど、インターネットのことを考え、遠くに視線を定めてみたら、いずれ世の中みんなインターネットになるだろうと思ったわけです。

川島:それが、2000年に糸井さんがお書きになった『インターネット的。』に書かれていることだったんですね。最近また、読み返してみたんですが、「フリー」や「シェア」や「情報が小分けになる」なんてことが予言されていて、正直言ってびっくりしました。2000年時点では、まだブログもSNSもiPhoneもない時代だったのに。どうして、インターネットはこっちに行くと、視線を定めることができたんですか?
糸井:種明かしすると、けっこう簡単なことです。自分が定めた視点と逆の方向の意見を並べて、比べてみればいいんです。「インターネットの方に世界は行くだろう。黙っていたってどんどん行く」というのをひとつの意見としたら、逆に「インターネットの方に世界は行くわけがないじゃないか。黙っていてどんどん行くはずがない」あるいは「今は流行っているけど、いずれ廃れるよ」という意見を置いてみる。そしてインターネットは「行く」とインターネットは「行かない」を比べてみると、「行かない」という意見のほうがどう考えても分が悪い。それって、すぐにわかるじゃないですか。
川島:そうやって視点を定めて、1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げて、インターネットの世界をどんどん行ったわけですね。
糸井:ちなみに視線を定めて「こっちに行こう」と、一度決めたら、勝算を証明できなくても、行っていいと思います。
川島:えっ、勝算をはじき出してから行くものじゃないんですか?
糸井:そう、世の中では、勝算をはっきり出してから行けというんです。でも、向いている方向さえ合っていれば、面白くなる可能性があるんだから、どんどん行った方がいい。僕の意見はそっちです。そもそも、間違いのない完成図を、求めちゃダメだと思うんです。
川島:大半の企業は、完成図を作ってから、そのプロセスを企画書にまとめ、それを忠実に実行せよと言いますよね。
糸井:さっきの彫刻の話で言えば、それって、型があってはめる作り方ということになります。
川島:だから、つまらなくなってしまうんですよね。
*3月17日公開の「ダサい、野暮、下品と新市場」に続く
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