本当は商社勤務を辞めたくなかった

川島:もしかして、辞めたくなかったのでは?

山井:そうですね。でも、ラグジュアリーなキャンプを提案したいと考え、スノーピークに入社して新規事業をやらせてくれと言って、オートキャンプ用品をスタートし、それが倍々ゲームのように伸びていったのです。

川島:まさに、「当たった」わけですね。1988年頃と言えば、バブル景気で新しいモノやコトがもてはやされていた時代です。スキーやアウトドアなど、さまざまなリゾート開発が日本各地で行われてもいたし、オートキャンプも脚光を浴びていました。でも、当時のリゾートレジャーの中では、まださほど、「かっこいい存在」ではなかったかと。

山井:そうです。安くてお手軽なレジャーのひとつといった位置づけでした。ただ僕は、オートキャンプというものを、そうではないレベル、もっとかっこいいレベルに持っていきたい、持っていけると考えたのです。

川島:だからスノーピークは、かっこいいんですね。つまり、山井さんが、かっこいいを大事にしてきたと。

山井:僕自身、昔から、かっこいいものが好きというか、美しいものが好きだったのです。だから、自分が手がける仕事についても、かっこいいもの、美しいものにしたいという考えは、ごく自然にあったと思います。

道は2つ。どちらに向かうか、迷った

川島:オートキャンプ用品は、ブームに乗って、どんどん売れていったのですね。

山井:市場をピラミッドにたとえて、裾野の広い方に向うか、狭い方に向うか、2つにひとつと思ったのです。でもやっぱり、本当の意味でスノーピークがブランド化していくためには、自分たちの価値を上げる方向、つまり狭い方に向かうべきと考え、そちらに舵を切ることにしました。まず徹底的に品質を上げ、「永久保証の価値」を訴えることにしたのです。そして、「ラグジュアリーでハイエンドなキャンプ用品」を作ろうと考えました。

川島:「ラグジュアリーでハイエンドなキャンプ用品」は、当時、ほとんどなかったわけですが、どうやって作ったのですか。

山井:今までになかったものを作るということです。たとえば、16万8000円もするテントもそのひとつ。「テントは一日遊んで疲れた身体を休息させる、快適で豊かな気分になるベッドルームでなければならない」と考え、雨や風を受ける屋根であるフライシート、心地いい空間をつくるインナーテントのウォール、地面と接する部分のボトムなど、すべてのパーツについて、生地の種類、厚さや織り方、構造を考え抜いて作ったのです。

川島:そんなに高い製品、売れたのですか。

山井:それが初年度で100個くらい売れて、僕自身も驚きました。日本にもそういうマーケットがあったのだと。

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