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平松洋子(ひらまつ・ようこ)
エッセイスト
1958年岡山県生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。『買えない味』で第16回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞、『野蛮な読書』で第28回講談社エッセイ賞受賞。ほかに『味なメニュー』『ステーキを下町で』『夜中にジャムを煮る』『サンドウィッチは銀座で』、『ひさしぶりの海苔弁』など。 (写真:鈴木愛子、以下同)

川島:平松さんは、一貫して食の周辺についてお書きになっています。最近、気になっていること、何かありますか?

平松:食べなければ生きていけないという意味では、嗜好の要素の多いファッションとは意味が違うかもしれません。毎日毎日、人は何かを食べなくてはならないわけだし、しかも食は健康、生命力を根本から司るもの。

川島:確かに、衣=服というものは、何かを身に着けてはいるものの、毎日手に入れなければというものではありません。一方で住は、生活の土台として大切ではあるけれど、一日三回という食の頻度とは遠いところにある。消費という意味では、衣や食より長い目でとらえる領域ですね。

平松:しかも食の大半は、自分が選んで食べるというところに喜びもあれば、落とし穴もある。ここ20年ほどの間に、消費者は、以前よりそこを意識するようになったと思います。食べ物の周辺には、たくさんの流行り廃りがありますが、自分が何を選ぶのか、何を選ばないのかというところに、自分の生き方、あるいはアイデンティティーが関わってくる。そういうことに、消費者として気づき始めているのではないでしょうか。

川島:その感覚、言われてみれば分かります。平松さんはいつ頃から、そういうふうに感じていたのですか?

平松:1990年代に入ったころからでしょうか。徐々にではあるけれど、足元から変化してきたと感じていました。それ以前、例えば80年代あたりは、流行りや新しさが大きな価値を持っていた時代だったと思います。ティラミスブーム、唐辛子ブームなど新しさがもてはやされ、それが大きなブームを巻き起こしました。

川島:そうそう。スイーツという言葉はまだ使われていませんでしたが、イタリア料理が「イタ飯」と呼ばれてブームになって、その延長で「ティラミス」が登場して、大人気になったこと、よく覚えています。それからあっという間に、どのケーキ屋さんもティラミスを置くようになって、スーパーやコンビニにも登場して。食の大ブームの発端は、あのあたりから始まったような気がします。

平松:未知のものに惹かれていった時代ですよね。知らなかったことを日常に取り入れること、新しいことに価値があった。それが90年代あたりまでずっと続いてきた。ただ一方、新しいものの中には、必ずしも価値を持たない一過性のものも含まれているわけですから、うっかり自分もそこに引っ張られていることもある。そんな経験を何度も繰り返すうち、流行の正体に、みんな気づいてもいると思います。