作り手の“自己愛”はもっとも要らない

川島:おっしゃる通り! 一人で不買運動(笑)ですね。そこで、平松さんに聞いてみたい質問がもうひとつ。シンプルでストイックなデザインの家電という領域もあります。でもあれ、私はちょっと苦手なんです。すっきりした見た目に惹かれて、台所に置いて使ってみると、「やっぱり失敗だった」という経験が何度かあって。

平松:わたしも同じような経験があります。買うときは、ついシンプルさに惹かれてしまうのだけれど、実際に家庭に置いてみると違和感がある。その正体はなんだろう、と考えたとき、そのひとつの要素が作り手の“自己愛”のように思うんです。それに、モノを作る“自己愛”って、家電にとって、もっとも要らないもののひとつですから。

川島:“自己愛”ですか?

平松:なんと言えばよいか、つまり、自分が作ったモノに愛着があり過ぎるということでしょうか。さっき川島さんがおっしゃったように、「使い手の目線に立って、機能もデザインもシンプルに削ぎ落した」と謳っている家電には、共通して“自己愛”が感じられる気がします。

川島:なるほど、デザイナーの名前が前面に出ていなくても、“俺様のデザイン”っていう顔をしている家電、あります、あります。そして私が「やっぱり失敗だった」と思うのは、ほとんどがそういうものです。

平松:そうなんですよね。こういうときデザインは魔物だな、とつくづく思うのですが、引いて引いてと思っていても“自己愛”が残ってしまう……。

川島:今のお話が腑に落ちて、さらに突っ込みたくなりました(笑)。「何気ない」とか「何もしていない」を謳った家電もありますよね。ああいうのはどうですか?

平松:「何気ない」「何もしていない」というのはひとつの売り文句ですけれど、それをことさら強調することが、すでに怪しい(笑)。そもそも「何もしていない」デザインはあり得ないわけですしね。そういう家電は、謙虚に身を引いているように見えて、実は「私よ」と強烈に主張しているという側面も見えてしまう。これもまた“自己愛”の形(笑)。

川島:だから、使っているうちに、うざったいと感じるようになってしまうのですね。私がもやもやと抱いていた感覚が、見事に言語化されていくの、とっても気持ちいいです。

平松:でもね、“自己愛”を捨てるのって、とても難しいことだと思うのです。さっき川島さんは、“俺様のデザイン”という言い方をなさったけれども、“俺のデザイン”という領域もありますよね。

川島:“俺様”じゃなくて、“俺”ですか?

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