ただし、こう言い切るには必須の条件がある。「家族の理解」だ。井上さんの場合、農家になろうと思ったときに奥さんと知り合い、就農が決まったときに結婚した。もし、家族がもっと収入の多い仕事を望んだら、別の形の農業を選択したかもしれない。夫婦で専業農家になった井垣美穂さんも「家族の理解が絶対に必要」と話していた。
彼らが農業を続けることができているのは、経済合理性だけでは割り切れない、家族の相互理解や暮らしの充実といったものが密接に絡んでいる。彼らがどちらも生活が成り立っていることを踏まえて言えば、それはたんなる経済的な価値よりももっと大事なものだと思う。
合理的な営農は追求する
しかも井垣さんで見たように、何となく農業をやっているわけではない。井上さんの場合、ニンジンとネギをメーンの作物にすえた。とくにニンジンは作っていて苦にならない、「テンションが上がる好きな野菜」。そこで、ニンジンを大量に効率的に出荷できるよう、2年前に洗果機を導入した。「手で洗って出荷していたときは50袋でも大変でしたが、洗果機を入れたことで、200袋でも楽にこなせるようになりました」。
この2つをメーンにしたうえで、出荷先のリクエストに応えるために、ジャガイモやタマネギ、小松菜など定番の野菜も作る。さらに、レストランの需要に合わせ、黄色や白などカラフルなニンジンや色のついた大根、葉っぱが柔らかい「べか菜」なども作っている。リスク分散が目的だ。
同世代を大きく上回る収入は目指していないと書いたことで、誤解を招いたかもしれないが、農業を続けていくために、合理的な営農は追求する。そこで10年後の目標を聞くと、こんな答えが返ってきた。「『新規で就農して頑張ってるが、あいつ稼げてるのか』って見られる状態から、『頑張ってる農業やって、ちゃんと生活できてるんだからすごいね』って言われるようになりたい」。
瑞穂町に取材に来ていつも感心するのは、空の広さだ。透き通るような青空の下で、彼らにインタビューしていると、別の新規就農者が軽トラで通りかかったりする。笑顔でさりげなくあいさつを交わす彼らの姿を見ていると、とても大切なものがここにあるとしみじみ感じる。地方で大規模に企業的にやる農業とは別に、都市の近郊で新しい形の農業も可能なのだと思えてくる。
最後に唐突ですが、この連載は年明けの1月上旬で終了します。残りはあと2回。5年間の連載をふり返りながら、農業について改めて考えてみたいと思っています。どうか最後までおつき合いください。
『農業崩壊 誰が日本の食を救うのか』

砂上の飽食ニッポン、「三人に一人が餓死」の明日
三つのキーワードから読み解く「異端の農業再興論」
これは「誰かの課題」ではない。
今、日本に生きる「私たちの課題」だ。
【小泉進次郎】「負けて勝つ」農政改革の真相
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2018年9月25日 日経BP社刊
吉田忠則(著) 定価:本体1800円+税
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