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 今回、2年ぶりの取材でまず話を聞きたかったのは、昨年秋に家を建てたことだ。それまでは古い民家を借りて農業をやっていた。ただ家主の事情で引っ越す必要が生じたため、同じ瑞穂町に家を建てることにした。この町で農業をずっと続けることを前提にした決断だ。

 家を建てたことで、営農と生活の両面で環境が変わった。新規就農者に共通していることだが、家を建てた瞬間、周囲の見る目が変わる。賃貸だと「いつ町を出て行くかわからない」という目で周囲は見るが、家を持つと「地域の一員」と見てくれるようになる。その結果、より条件のいい農地を借りることができるようになる。農業が地域産業であることに伴う環境の変化だ。

地域との交流、積極的に

 もともと井上さんは、貸家に住んで農業をやっていたときから、自治会など地域の活動に積極的に参加していた。家を建てたことで、名実ともに町の一員として町内活動に加わるようになった。地域の消防団のメンバーになり、川掃除などの町のイベントに参加し、新年の行事にも顔を出す。

 あえて地域との交流を避け、農業だけに専念する人もいる。この点に対し、井上さんは「畑ひとつ借りるにしても、貸してくれる農家や農業委員会、役場など多くの人が協力してくれることが前提になる。彼らにぼくのことを紹介してくれる人のおかげでもある。農業はそれで成り立つ仕事なので、町の活動に積極的に参加すべきだと思います」と語る。

 積極的に人と交流する努力は、販売面でもプラスに働く。井上さんが東京で就農したのは、売り先を自分で開拓できる余地があったからだ。茨城や栃木、長野などの農村も考えてみたが、自分で作りたい野菜を作り、売り先を確保するには消費地から遠すぎた。自分で売ることができない以上、選択肢は限られる。例えば、産地の構成メンバーの一員となり、何をどう作ってどこに売るかの決定を周囲に委ねる。それは脱サラしてまでやりたい農業ではなかった。

 消費地が目の前にある瑞穂町を選んだのはそのためだが、黙っていて売り先が見つかるわけではない。井上さんの売り先にはレストランが何軒かあるが、それを可能にしたのは「紹介の連鎖」。出荷先の紹介で、別のレストランに納めることができるようになる。中にはたまたま入ったレストランで世間話をしていて、「じゃあ、うちに出さない?」と言ってくれたこともある。

 この話の中で井上さん自身も指摘していたが、地域社会との交流は得意な人もいれば、苦手な人もいる。全員がフルで参加すべきだと言ってしまえば、新規就農のハードルを上げてしまうことになる。ただ、井上さんのように積極的に地域活動に参加する人がいることで、別の土地から来て農業を始める人に対し、地域社会の見る目が寛容になる点は指摘しておきたい。

井上祐輔さんは「農業できちんと暮らしていける」と話す(瑞穂町)

「家族の理解が絶対に必要」

 取材では井垣さん同様、家計のことも質問した。この問いに対する井上さんの答えは、「できる範囲で農業を続けることができればいいと思ってます。一定の収入があり、ちゃんと生活できて貯金もできて、家族を養えればいい。今のところ、それが無理とは思ってません」。奥さんが管理栄養士の仕事をしていて、収入が安定している面もあるが、理由はそれだけではない。

 「もし農業で年収1000万円を目指していて、現実が300万円なら、『何やってるんだ』とがっくりくるでしょう。でも目標が500万円で、差が200万円なら、何とかなると思えます」。この目標をどう見るかは、人によって判断が分かれるだろう。だが、夫婦共働きで、片方の収入と考えれば、極端に少ない数字ではない。「同世代の友達を見ていても、年収が300万円程度というのは普通です。農業が特別もうからないとは思えません」。

 井上さんはいま30代前半。同世代には、ケタがいくつも違う収入を手にするベンチャー起業家もいるだろう。だが肝心なのは、農業を仕事にしたいと思い、実際に農業をやってみて、そのうえで「自分のできる範囲で農業を続けることができればいい」と自然体で言えることだ。井上さんは取材の中で、「誰かに何かを強制されることなく、好き勝手にやってます」と話していた。もちろん、「いい加減にやってる」という意味ではない。